- 作者: 吉田健一
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2012/04/05
- メディア: 文庫
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・・・或ることの報道はそのことの解釈でもあってそこに空中楼閣を築く余地が幾らでも生じる。例えば五・一五と二・二六の二つの同じような事件を新聞が同じ具合に扱わなかったのはその間に空中楼閣の築き方が変わったからでビヤホールでの巷談ならばこれは聞き流せるがそれが活字になったのと一々付き合ってはいられない。
以前、‘グリーンピア’と‘かんぽの宿’という、これはまったく同じ事件を、舌の根も乾かぬうちに、真逆に報じる新聞とテレビには唖然とさせられたことがあったが、上の文章に行きあたって、どうも今に始まったことでもないらしいと苦笑いした。
去年か、一昨年だったか忘れたが、雑誌やテレビで、‘男子がブラジャーするのが流行っている’みたいな噂が流されたことがあった。もちろん、ウソにきまっている。あれなんかこういう噂を流したら、‘どれくらいのバカ連中が本気にするのか試してみようぜ’みたいなことで、ある程度の力のある連中がやってみた実験(か、悪い冗談)だったろう。
結果はどうだったのかしらないけれど、まあ、‘かんぽの宿’で「鳩山邦夫は正義の味方だ」といえば乗せられて意味不明なことをわめき散らす連中もいるわけだから、マスコミの連中に「男のブラジャー」みたいな、人をなめきったいたずらを仕掛けられてもしかたないアホどもだといえるだろう、この国の官畜どもは、今度は消費税増税に賛成らしい。
それで思い出したけれど、田原総一朗がブログに、東電の社長就任要請を、企業経営者がことごとく拒否したのは、西川善文の二の舞になってはたまらないということが一番大きいだろうと書いていた。
今の歴史学者が、戦時中の世論を知ろうとすると、まずは当時の新聞にあたるのだろうが、それは、五十年後の学者たちが今の新聞雑誌を読んで私たちの一般的な意見を知ろうとしているのと同じだとすると、ずいぶん面白いことになりそう。
つまり、今の学者が戦時中の世論について語っていることは、五十年後の学者が文献研究の成果として発表するだろう「2010年頃の日本では男がブラジャーすることが流行した」という説と同じと見ていいのだ。
・・・日本では日本のことをけなしてばかりいなければならないというのが謙遜も度が過ぎると上村さんには思われてそれが必ずしも謙遜からのことではない気がした。それだからけなさないのならば神国まで行くことにならざるを得ない。その神国からそれと現に自分達が明かに日本である場所でこうしていることの対照が解せなくなったのは上村さんにとってそれが最初のことではなかった。誰が神国というようなことを考え出したのか。それはヨーロッパが一応はキリスト教国の集団であることになっているのよりも遙に根拠がないことでヨーロッパのキリスト教の伝統には少くともヨーロッパを生むだけの力があった。伊勢の大神宮に行けばそこには神国というようなことを思わせないもっと素朴なものがある筈である。