イギリス映画。で、気がついてみると「サッチャー」、「ゴーストライター」、「英国王のスピーチ」、「スラムドッグ$ミリオネア」(英連邦まで範囲を拡張すると「アニマル・キングダム」も)と、近年のいい映画のほとんどはイギリス映画。
この「裏切りのサーカス」も、前評判では「難しい」と脅かされていたので、やや身構えるところがあったのだけれど、観客を見くびりすぎ。難しいどころか、上質なエンターティンメントというべきでしょう。
無駄な説明を一切省いて、エッジの効いたシャープな展開は、ミニマリズムの単調さとはまったく違う。これはたぶん、北野武作品や日本のマンガなどにインスパイアされているのではないかと思う。
それで思い出すのは、手塚治虫の「火の鳥 宇宙編」が英語に翻訳されるというとき、高架下で男女が別れ話をする短いシーンの演出が、「欧米では理解されない」といわれたと、手塚治虫自身がテレビで語っているのを見た記憶がある。
どういう意味だったのか、子どもが読者だからという意味なのか、それとも、その編集者がくそだったのか。とにかく、この映画を見ながら、頭の片隅にその記憶が甦った。
北野武の映画が欧州で受けたのは、彼の地の観客が、わかりきったことをバカに教え込むみたいなハリウッド映画の文脈に飽き飽きしていたせいなのかもしれない。
しかし、「裏切りのサーカス」を見るのに、‘日本の影響’みたいなことを強調するのはバカげている。イギリスの名優たちの堂々たる存在感を堪能すべきだ。
これでゲイリー・オールドマンがアカデミー賞を獲ったりしたら、アカデミー賞は来年からロンドンでやればいいということになるかもしれない。