光琳

knockeye2012-05-29

 書き漏らしている展覧会のことをいくつか。
 今月の13日、尾形光琳展に根津美術館を訪ねた。
 これも原発事故の余波で延期されていたものだった。震災は復興にほど遠く、原発事故は‘冷温停止状態’などという言葉のまやかしだけで、つまりは終息のめども立たないが、時が経てば記憶は霧のかなたへ押し流されていく。
 だけど、押し流されていくだけで何も終わったわけではないのは、ちょうど今頃、太平洋を東に向かって流されつつあり、やがては、カナダやアメリカの西海岸にたどりつくだろう厖大ながれきの塊の上にこそ、私たちの実体があるようにさえ思う。
 光琳の燕子花図屏風はあいかわらず美しいが、金屏風がもっとも美しいのは、絵に描かれた草花の色が、褪せて剥落し始める頃ではないのかと思うと、きれいに保存することで、私たちは光琳が後代に托した美の完成を、邪魔しているだけなのかもしれない。
 銀で描かれた半月は黒く灼け、緑青が剥げ落ち、目を凝らしてようやくすすきの穂と解る伊年印の金屏風を美しいと思ったとき、実は、燕子花図屏風もこうなることが望まれていたのではないかという疑念が頭をよぎったことがある。
 光琳は自身の絵を永遠の美と思っただろうか。それともやがて消えゆく美と思っていただろうか。
 原宿や渋谷の徒歩圏内だとはとても思えない根津美術館の庭は、光琳展に合わせてということだろう、池の燕子花が盛りだった。
 今回の展示で目を引いたものは、光琳唯一の肖像画といわれる<中村内蔵助像>。これを青柳瑞穂が発見した経緯は魅力あるサイドストーリーだし、そして、これが描かれた経緯にもいわく因縁がある。尾形光琳は絵を意匠として捉えていたと思うが、そういう人が描いた人間くさい絵に結局心が動く。それは、鑑賞する人の今がたぶんに影響しているのだろう。
 サントリー美術館で、毛利家の至宝展。
 雪舟の国宝、四季山水図(山水長巻)があったが、どういうわけか心が動かなかった。