『ネオンと絵具箱』

knockeye2012-06-18

ネオンと絵具箱 (ちくま文庫)

ネオンと絵具箱 (ちくま文庫)

 2006年に東京都現代美術館大竹伸朗の全景展があったとき、私はまだこの人を知らなかった。残念としかいいようがないのだけれど、知らなかったものは知らなかったので、それはどうしようもない。
 この本は、ちょうどその頃出版されたもので、高揚感といっちゃうとどうなのか、ともかくも、ストレートエンドで難度のたかいコーナーに突っ込む前後のレーシングカーめいた華々しさを感じさせる。
 わたしはどちらかというと、本でこの人に接することが多いが、美術館で作品にであうこともある。マックス・エルンストとか、ジョセフ・コーネルなどが見ている地平がこの人にも見えていると感じる。
 宇和島にある高野長英の寓居跡をしめす石碑に写る、道向かいのカラオケボックス「ジャングル」のネオンに
‘・・・そんな光景の底にボテッと転がる確固たる豆腐のような「日本」・・・’
を見る人なのである。

 高校を卒業した年、東京を出て北海道の牧場と炭坑跡の町で一年間を過ごした。
 絵を毎日描いて過ごす日常に憧れ、絵具箱とカメラ、フィルム、スケッチブック、若干の着替えと現金二万円を手に見ず知らずの牧場に飛び込んだ。
 家を出ることもないまま美術学校などに行こうとも自分自身の思い描く「絵描き」になど到底なれないことは一〇〇%明らかであり、また単にそんな曖昧な自分の日常が情けなかった。
 その時、自分にとって「絵描きになる」ための一歩としてできることといえば、「絵を描くこと」などではなく、まず家を出、上野駅から自分の選んだ牧場にたどり着き、毎日働き空いた時間に一枚でも多く絵を描き写真を撮り、何もない地点から人との関係を築き、経験したことのないことをすべて通過し初めての北の地で生き延びてみせること、それをまず自分自身に対して証明することだった。
 「何かをやろう」と思い立つその足元を、まるでゼロ地点に既に立っているかのように語るまわりの人間の言うことを信じることが出来なかった。そう「思い立つ足元」とは実はゼロから遙か遙か遠いマイナスの場所でしかない。そんなカタクナな思いが強く自分の中に貼り付いていた。
 そんな思いで東京の実家を出る朝、これで家族と会うことも二度とないだろうと本気で思った。
 牧場での仕事は半端ではなかった。それまでの情けない東京での日常が終わるはずだったのに、たどり着いた牧場で与えられた仕事は何もできず結局迷惑ばかりかけてしまうことになった。東京を出たあの朝は、より情けない日常への入口にすぎなかったことに行ってから初めて気がつき、しばらくはドン詰まり感が日々倍加した。
 それでもナンヤカンヤ言い訳をして再びこの場所を飛び出してしまったら、もう「絵描き」への道はココで終わるなといった自覚だけはあり、そんなドン詰まり感を手がかりに牧場の人々と毎日を過ごした。
 丸一年を過ごした北海道から上野駅にたどり着いた時、手元には数百円と絵と写真と北海道で出会った人々との「絆の種」だけが残った。
 一年ぶりに戻ってきた上野駅の到着アナウンス「うえのーうえのー」の響きは、それまで聞いたことのないここちよい音楽に思えた。これでやっとゼロ地点に立ったと駅のホームで思った。「うえのー」を聞き終えるとなぜか「しんじゅくーしんじゅくー」の旋律を無性に聞きたくなり新宿駅に移動した。
 新宿駅ホームで突然便意を催し、駅ビルの屋上のトイレに駆け込んだ後、屋上から新宿の町をしばらく眺めた。その時、今日からオレは絵描きだと初めて思った。

 絵描き大竹伸朗の誕生エピソードなんだけど、これを単に回想のために書いているのじゃなくて、その31年後のできごとにつながっていくのがおもしろいところ。
 私には、行動力と目の確かさで、この人と須賀敦子が重なって見える。須賀敦子が好きなら大竹伸朗も楽しんで読めると思います。