1967年、サーフィンにショートボード革命をもたらしたのは、オーストラリアのボブ・マクタビッシュか、それとも、カリフォルニアのディック・ブリュワーか?
同じサーフィン誌の編集者という立場で、スティーブ・ペズマンと対談していたサム・ジョージが突然こういう。
「ボブ・マクタビッシュがセックス・ピストルズ、ディック・ブリュワーが、ザ・クラッシュさ」
「・・・意味不明だよ」
「若い連中にはわかるさ(笑)」
わかるかわからないかはともかくとして、実際、そのへんの謎解きは、どっちでもいいっていうのがホンネなんだけど、それではあまりに無責任というなら、サーフィンが文化として膨張していく過程で、自然に、同時発生的に、ボードも進化していったというふうに私には見えた。
しかし、そんなことよりも、1967年なのだ。
時代がカルチャーを生み出していく、そのダイナミズムが、当時の映像の中から、否応なくあふれ出してくる。
ほぼ同時期にショートボードを開発したマクタビッシュとブリュワーだが、商業的名声に差があるのはなぜかについては、ほんとにそれほど差があるのかということも含めて、いろんな背景が考えられると思うが、この映画は、マクタビッシュが主に大会を活躍の場としたのに対して、ブリュワーはジェリー・ロペスと組んでパイプラインをつかまえることに集中していたという点を指摘しているようだ。ハワイの海岸で、文字通り結跏趺坐して、瞑想にふけるブリュワーの写真が何枚も残っている。
サーフィンのメッカ、ハワイから遠く離れているマクタビッシュは大会のためにハワイに乗り込む。だが、ハワイを拠点としているブリュワーは、マクタビッシュがヌーサの海岸でしている研鑽をハワイで積んでいたのであり、マクタビッシュにとっては非日常の大会も、ブリュワーにとっては、日常の一部にすぎず、こうして映画という形で振り返るかぎり、はじめから商業的名声を求めていなかったように見える。
もちろん、マクタビッシュにしても、そのへんの事情はあまり違わない。勤め先をドロップアウトして、海岸にとめた廃車に住み、パンツとサーフボードだけで暮らす日々の中で、ただサーフィンをしたいためだけにハワイに密航する。
5週間、サーフィンに明け暮れた後、強制送還されるのだが、その前日、同じ留置所にぶちこまれるハワイの酔っぱらいたちが、ウクレレをつま弾いて歌うハワイアンに心打たれたりする。
サーファーたちの証言を聞いていると、マクタビッシュが初めてショートボードをハワイに持ち込んだ時の印象は非常に鮮明だったようだ。
その映像を見ると、この映画のタイトル「GOING VERTICAL」という感じが目でわかる。まさに、波を‘タテにかけあがる’。
こうとりとめなく書いてきただけでもすでに、商業としてのサーフィンがあり、精神世界としてのサーフィンがあり、スポーツとしてのサーフィンがあり、マルチカルチャリズムとしてのサーフィンがある。
さらに、マイク・ヒンソンが代表する映画としてのサーフィンがあり、ドラッグカルチャーとしてのサーフィンがあり、音楽があり、ヒッピームーヴメントがある。1967年は、それらのことが渾然一体となっていた時代。そしてその背後にヴェトナム戦争があった。
インターネットの世界がヒッピームーヴメントの中から芽生えたということは忘れてはならない。当時、若者の理想や抗議を、あおくさい夢想だと笑うことは、きわめて常識的な態度だったろう。しかし、いま、わたしたちの目の前にはどんな現実がある?
今、インターネットのない世界が考えられるだろうか。リアルだったのは、むしろヒッピーたちの方だったのである。
脱原発なんかしたら日本の未来は真っ暗だとかいう人たちがいる。そういうこという人たちとはちょっとそりが合わないなと思う人は、この映画を見るべきじゃないですかね。