奈良美智展

knockeye2012-07-15

 昨日の続き。
 というわけで、急遽、「グラッフリーター刀牙」が観られなくなってしまったので、Bプランに変更。東横線でみなとみらいへ。奈良美智展が開かれている横浜美術館へ。「君や 僕に ちょっと似ている」も、実はこの週末が初日で、なかなかの入りだった。
 この展覧会のタイトルは、ビートルズの‘NOWHEREMAN’の一節でもあるらしい。言われてみれば確かに。でも、公式サイトにある作家からのメッセージには、もうちょっとくわしく、このタイトルが選ばれた経緯が書かれていて、読む価値があると思うので、一読をおすすめしたい。
 私の感じでは、奈良美智は、こどもの記号化、あるいは、柳宗悦ふうにいえば‘文様’化に成功しているところに、圧倒的なオリジナリティーがある。
 それにくわえて、絵のタイトルが絶妙である。あの絵がもっと視覚の再現にこだわった絵であったら、それぞれのタイトルの絶妙さは生まれないだろうと思う。絵自体がすでに記号的なメッセージ性をそなえているところに、なんとも絶妙な題がつけられているので、化学反応が起こる。絵の中にタイトル、あるいは、タイトルと微妙に違う言葉が書き込まれていることも、その化学反応を作家が狙っているためだと思う。
 たとえば、<Middle Finger>という題の絵がある。この題を観て、その絵を観ると、ちょっと‘あはっ'となる。この感覚は、古備前ぐい呑みに'虫歯'と銘をつけたりする茶人の感覚に似ているのではないかと思った。
 あともうひとつは、絵を描くメディアを選択するセンスのよさ。たとえば、ダンボールであったり、古い引き出しの底面をつなぎ合わせたり。ある意味では、アッサンブラージュとかレディメイドとの近しさを感じさせる。それはまた、描写することよりも、記号化、文様化することへの欲求を裏付けているともとれる。
 そういう文脈でみていくと、入いってすぐの部屋に展示されている、ブロンズ像の意味はよくわからなかった。わたしには、同じ部屋に展示されていた、その制作のための下書き、スケッチとかの方に魅力を感じたのは正直なところ。立体作品でいえば、ショップにあったキーホルダーとかぬいぐるみの方に親しみやすさを感じた。
 ただ、それは上のような文脈で観ていけばということで、<真夜中の巡礼者>とか<ミス樅の子>があたえる印象はやはり強い。だからこそ、ブロンズというメディアの選択はなぜなのかなとちょっと不思議に思っただけ。
 (もちろん、キーホルダーやぬいぐるみは、その商品力で、大量に消費されることを意味してはいる。それは、民藝がインダストリアルデザインに変わる過程に似ている。作家としてそういう商品化に躊躇を感じる部分があるのかもしれないが、奈良美智の生み出すイメージが一般に受け入れられて様々に流通していくことで、そのイメージはまた作家に回収されると思う。しかし、作家の創造の場にこれ以上立ち入るのは余計なお世話。)
 今回の展覧会はすべて新作で構成されているので、横浜美術館が所蔵している奈良美智の旧作は、常設展に展示されている。常設展は撮影可なので何点か撮っておいたけど、どんなにいい絵でも、それをカメラで撮るっていうことに意味があるかどうかはまた別のことだと思うので、撮影可にするよりも、私としては、展示してある作品に関しては全品絵はがきにしてほしいと思うがどうだろうか。
 常設展に私の好きな小倉遊亀の絵があった。タイトルは<良夜>。いままで何度も目にしてきた絵なのだけれど、タイトルに意識がいったのは、奈良美智を観た後だったからかもしれない。