「ピナ・バウシュ 夢の教室」

knockeye2012-07-21

 ジャック&ベティで「ピナ・バウシュ 夢の教室」。あそこの支配人にはもう顔を憶えられているかもな。あの映画館は、椅子の背もたれが破れて中綿が出てるくらいは、とりあえず平気なのがえらい。
 番組もよくて、みようかなぁ、どうしようかなぁとぐずぐずしていた映画はだいたいここが拾ってくれる。来月は、「ロボット完全版」も「死刑弁護人」も「ヴァージン」もある。それにしつこいようだけど「裏切りのサーカス」も「きっと ここが帰る場所」もあるので、見逃した人は見た方がいいんじゃないかなぁ。
 ほんとはこの日も、「ピナ・バウシュ 夢の教室」のあとに、田原総一朗がブログで一押ししていた「テレビに挑戦した男 牛山純一」があったし、続けて観ても良かったのだけれど、そこまで入り浸るのもどうかなと思って。
 この日は、日ノ出町でおりてケンタッキーで昼にしてから歩いた。映画館には黄金町の方が近いのだけれど、あのあたりはそういうファストフードはない。コーヒーならまめやというおいしいところがあるけれど。
 「ピナ・バウシュ 夢の教室」はドイツの映画だった。ドイツのダンスの映画。ああドイツ語だと思って、我ながら気がついたのは、そういう事前の情報って全然気にしてないのか、オレはと。この映画を見に行こうと思ったのは、チラシのこの写真だけなんだなと改めて気がつく。

 チラシにはこの下にピナ・バウシュの横顔がある。それだけでとりあえず観にいく値打ちがあるだろうと思った。
 この写真で走っている10代の子供たちも、わたしと同じくらい、ピナ・バウシュについて何も知らなかったそうだ。たぶん、ピナ・バウシュが率いるヴッパタール舞踊団がある、ヴッパタールという町の子供たちだと思う。町の景色もときどき映っていたのだけれど、懸架式のモノレールがいい雰囲気だった。二両編成で、こういうのが走っている町はいい町だろうなと思った。パンフレットを読むと、工業都市、労働者の町なのだそうだ。
 ヴッパタールの町についてのピナ・バウシュのインタビュー。ピナ・バウシュは1973年から芸術監督としてヴッパタール舞踏団を率いている。

 ヴッパタールは好き。おしゃれな町じゃないところがいい。ダンスにとって大切な要素がある。‘観光の町’ではなく、‘労働者の町’ということ。私が大切だと思うのは、自分が生きている世界を知ること。世界はいいことばかりじゃないと知ることが重要。それはダンスにとって欠かせない要素なの。人間のあらゆる感情を表現しないとね。だから私はダンスにすべてを盛り込んでる。ヴッパタールではそれができる。感情を表現できる。希望も表現できる。それがヴッパタールのいいところ。町に戻ってくると仕事ができる安心感がある。だけど同時に旅にも出たくなる。そのバランスがいいのね。

 子供たちが10ヶ月の訓練の後、演じることになる「コンタクトホーフ」という演目は、日本語に訳すと「おさわり宿」とでも訳すしかないそうだが、たしか、子供たちの一人が
「これは普通のダンスと違って、ピナの問いかけにダンサーが答えるというスタイル」
だと話していたように思う。映画の最初の方だったので、「ああそうなの」くらいにしか思わなかったのだけれど、とても的確な表現だと思う。ある問いかけにたいして、真摯に答えようとする。そのことがこのピナ・バウシュの「コンタクトホーフ」を舞踏にしているのだろう。
 なにかに真剣に取り組んでいる子供たちの姿に感動することが、おとなたちの身勝手でないといえるのは、そうした問いかけに対しては、おとなもこどもも同じように真っ白であるしかないからだろう。最初から用意された答えを反復するのではなく、誰にとっても常に問いかけとしてしかありえない、そうした問いを、逃げずに答えようとすれば、誰でも自分をさらけ出すしかない。というよりも、そこでさらけ出されるものだけしか‘自分’ではない。踊り手たちは、お互いに自己をさらけ出そうとして踊っている。
 それが感動的なのは、年齢に関係なく、自分たちもまた、ありきたりの答えでなく、問いに向き合おうとするときには、あの子たちと同じく自己をさらけ出すしかないと気付かされるからだ。
 子供たちを指導するジョー=アン・エンディコットとベネディクト・ビリエが、ある意味ではこの映画の視点なのだけれど、ベネディクトは「子供たちを見ていると、ときどき涙ぐみそうになる瞬間がある」と語っていた。
 最後に行われた公演じたいはほとんど映っていない。それは実に正しいと思う。答え合わせに意味はない。