ネトウヨ亡国論

knockeye2012-08-15

SAPIO (サピオ) 2012年 8/29号 [雑誌]

SAPIO (サピオ) 2012年 8/29号 [雑誌]

ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて (g2book)

ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて (g2book)

 SAPIOがこの時期の合併号に「ネトウヨ亡国論」と題した特集を組むことにはちょっとした衝撃がある。ネトウヨはSAPIOの支持母体だと思っていたのは私だけ?
 誰でも知っているように、ネトウヨとは、一言でいってしまえば、ただのバカだが、インターネットが発言のハードルをさげたために、ただのバカも全世界に向けて発言できるようになった。
 世界に向けて発言しようが、トイレで落書きしていようが、バカな発言は無視していればよいようなものだけれど、ジャーナリズムが未熟でほぼネトウヨと同レベルな信頼しかないので、彼らが図に乗る余地が生じる。
 しかも、多くの人はただのバカに興味はないので、ただのバカ同士がいつのまにか寄り集まってバカなことをやっているなんて知らない。
 さっきからバカバカと書いているが、バカにどう対処するかはとてもむずかしい。政治の最大のテーマなのかしれない。
 むかし、たわむれに、ブタと人の見分け方というのを考えたことがあった。ブタと人が混じっちゃった時どう見分けるか、それは、ブタと人を見分けられない奴がブタ。
 しかし、これはあくまでジョークである。
 バカを見分けるのはとてもむずかしい。全知全能の人はいないし、100%バカもいない。
 だが、ひとつだけ、この世界にはバカがいるということだけは、もういいかげん認めなければならないのではないか。
 ‘頑張ればみんな○’とか、‘勝つことだけがすべてじゃない’とか、耳に心地よいには違いない。しかも、それはほんとだと私も思う。でも、それは、頑張っている人、戦って負けた人にかけるべき言葉で、頑張ってもなければ、戦いもせず、日がな一日スマホにかじりついている連中にいう言葉じゃない。ところが現状、上のような言葉は、そういう連中が、努力して勝った人たちに浴びせかける呪詛になりはてている。
 バカをどうするかは果てしなくむずかしい。しかも、これほど取り組みがいのないテーマもない。だが、まず、この世にバカがいるという認識を出発点にすべきだと思う。そして、すくなくとも自分がバカになりたくないなら、思いやりをもつべきだ。自分が他者のひとりにしかすぎない公共という場を思いやるべきだ。そして様々な規範の持つ意味を知るべきだ。
 すくなくとも、マナーやルールを守ることは自分をバカだと思わせないアーマーになる。