「韓国‘被害者’アイデンティティーには未来がない」

knockeye2012-08-22

 ニューズウィークによると、韓国与党セヌリ党の次期大統領候補と目されている朴槿恵の選対本部長が、李明博大統領の竹島上陸について
「大統領府はポピュリズムに走っている」
と批判したそうだ。
 発言の意図はどうであれ、すくなくとも‘反日’が‘人気とり’でありうることについては、異論をはさむ余地がない、韓国人の共通認識であることを、これは物語ってはいる。
 週刊文春の特集記事は「驕れる韓国・中国をしめあげろ!」という、ちょっとどうかと思うものだが、見出しの物騒さに比べると、内容はいたって穏健。
 首都大学東京教授の鄭大均というひとは、
「韓国‘被害者’アイデンティティーには未来がない」
として、親日家と見られていた李明博大統領の最近の行動に戸惑う日本人も多いかしれないが、韓国人が日本に抱くアンビバレンスの感情を知る者としては意外ではないと書き、

 いいかえると、ほぼすべての韓国人には日本に対する敵意や憎悪が自明で本質的な感情になるという準備のようなものがあって・・・・

この表現はとても誠実だと思う。

 韓国の学校教育は、近代以前史における自国の日本に対する「文化的先達者性」を強調するとともに、近代以降は「その恩を仇で返すかのように韓国を侵略した日本」という物語を語り続けている。
 こうした語りは
(略)
ほとんど自覚されることのない日々の実践のなかでも裏書きされるもので、こうした反日感情をどう実践するか、あるいは抑制するかは、もちろん個々の韓国人に任せられたことである。
 だが、ある程度の条件、状況が整えば、韓国人は誰しもが反日を実践してしまう。・・・

 韓国人は日韓関係を歴史的な加害・被害の関係とみなし、この役割分担を受容する日本人も結局は増えてしまった。しかし、韓国は今やOECDのメンバーではないか。そのような国が隣国との間にある歴史的な加害・被害関係を語り続けるというのはアブノーマルではないのか。

 歴史道徳的負い目意識のために、韓国に対する批判精神がまったく欠如していることが、むしろ日本人の側の問題だとして、

韓国側の被害者アイデンティティーに日本側の加害者アイデンティティーが連合するというのは、本当は、韓国の名誉にも、日本の名誉にもならない。
(略)
 もう半世紀も続くこの構図を変えることを、私は日韓関係のあたらしい正常化と考えたい。

と書いている。
 また、奇しくも、田中均も、日韓関係を永遠の加害被害関係にしておくことは不健全だと書いている。

  韓国側がどう認識するにしても、今日、日韓関係を加害者・被害者の関係として概念していくのは不健全であり、現実的でもない。これは、日本が過去の歴史や歴史の教訓を忘れてもよいと言っているわけではなく、常に意識した行動をとることは重要である。


 ごく若い頃は、わたしじしんも、韓国についてだけでなく、天皇について、アメリカについて、政治について、宗教について、その他、ありとあらゆるものについて、割り振られた役割を喜んで演じていた。
 しかし、どうだろう。そのような欺瞞に一生耐えられたとして、それにどんな意味があるのか。またそんな生きかたにどんな魅力があるのか。
 わたしじしんは韓国にも中国にも何の危害も加えたことがないだけでなく、差別感情すら抱いたことがない。それなのに、加害者意識をもっているとしたら、そんな奴はまちがいなくイヤな奴だと、あるとき気がついた。
 その時点でずいぶんオッサンだったと思うが、同時に‘愛国心’なんてほんとにクズだなとも気がついた。
 私は国なんか愛さないが、他人に、国を愛するなとも愛せよとも言う気はない。ただどんな愛国心も、私的感情以外ではない。愛国心と公共心をすりかえることは、ただの我執でしょ。
 それにもかかわらず、愛国心を美徳のようにいうやつがいたとすれば、それはその方が都合がいいからだろう。たとえば、これを愛社精神とおきかえて、優れた経営者がそのような言葉を使うかどうか考えてみればよい。
 失敗したなぁと思ったんだけど、おなじ今週の週刊文春で、クドカンが、映画の「苦役列車」をほめてた。あれは観るつもりで、はてなブックマークもはさんでおいたんだけど、こないだ買った文藝春秋に、原作者の西村賢太が、口角泡を飛ばして猛抗議していたので、原作者がそこまで言うならとパスしたのだった。残念なことをした。