カレー屋じゃあるまいし

knockeye2012-09-07

 自民党総裁選に谷垣禎一現総裁と石原伸晃現幹事長がともに立候補する。ブサイクな話。
 総裁を支える立場にある幹事長が総裁選に立候補するかぎりは、当然、現総裁に引導を渡さなければならない。ところが、石原伸晃にはそれすらできない。いかにもお坊ちゃん育ちのなまっちょろさである。
 森喜朗も古賀なにがしもただおろおろするだけ。
 つまり、‘政治力がない’という実例なんだろう。誰がというのではない、全員。
 消費税増税に協力した時点で、この谷垣禎一石原伸晃、ふたりの政治生命は事実上終わっていたと思う。もはやお役御免。あのとき反対しとけば、今頃もう選挙だったんじゃない?
 8日の(これ8日に書いてるんだけれど)午後の記者会見で、橋下徹が「大阪維新の会」の国政進出を正式に表明した。
 準備不足というか、見切り発車めいた感じは否定できないが、上のような国政の状況ではやむをえないかもしれない。このように前倒しでことが進むについては、橋下徹にとってはありがたい状況ではないかもしれない。
・・・・・
 日経ウエブのアンケートに
民主党原発ゼロ」提言、評価しますか’
というのがあったのだけれど、その前に、消費税増税もそうだが、そもそも、野田政権の政策は、まず議論の前提がおかしい。
 「0にしますか?15にしますか?50にしますか?」って、カレー屋で辛さを選んでいるのじゃないんであって、こっちが選んだからって政府や官僚がそれに答えられるのか。
 計画経済の国じゃないはずだが、なぜ、官僚のさじ加減ひとつで、ソフホーズコルホーズみたいに、電力構成比を決められると思っているのか。また、それをしゃあしゃあと表明できるのか。日本の官僚がいかに社会主義的であるかのよい証拠だろう。
 そんな原発の比率なんてものは、送発電を分離して、電力を自由化して、公正な競争の下での利用者の選択にまかせるべきなのである。
 その結果が、0〜100%の間のどの数字になるにしても、それこそがまぎれもなく国民の選択である。
 やらせ含みのタウンミーティングとか、SNSとか、デモとかで、原発賛成、反対と、でかい声で叫ぼうが、小声で不平をこぼそうが、公正な競争の下で選ばれる発電方法の比率以外に国民の選択と呼べるものはない。
 だから、政治のなすべきは、‘何が公正な競争なのか’を明確に示すことで、そして、その公正さを担保することである。
 それを‘0%か15%か’とか、その設問自体が、電力構成に規制官庁の影響力を残し続けるための方便にすぎない。
 これは、消費税増税の時もまったく同じで、本来は、「どうやって財政再建すべきか」としなければならない議論を「消費税是か非か」という、役人の可処分財源が増えるか、現状維持かという、どちらに転んでも役人は損しない議論にすりかえられてしまっている。現に歳出削減に努力する気配すら見えない。
 消費税増税も、この電力構成比も、まず胴元が配る札にいかさまがあることになぜ誰も気がつかないのかまったく不思議だ。