金曜日の帰り際に、以前、殴り合いをした上司が現場に来て、また理不尽なひとこと。怒るか笑うか一瞬迷うくらい。
前回は、考える前に手が出てしまったが、あのときに比べると、この上司の人となりを十分に認識しているので、あのときのように度を失うことはない。
食いつなぐために転々としてここまで流れ着いただけ。仕事を選り好みできるはずもなし、まして上司においてをや。感情的になることはない。気分は悪かったけれど、そのまま帰った。
私としては上出来だと思ったが、ところが、家に帰ると腕時計がない。昼休みまでは確かにあったが、どこで外したかどうしても思い出せない。
意識の上では平静なのに、無意識の層で結局前回と大して変わらないくらい腹が立っているのかもしれない。あのときは、殴っている途中でポケットにあるカッターナイフが頭に浮かんで、自分の殺意に一瞬ひるんだのだった。
その夜、厄落としだと思って、Amazonで適当なG−SHOCKをクリック。日曜の朝にそれが届いた。
この週末は映画3本と展覧会をひとつ観た。映画についてまとめて書く。
「かぞくのくに」は、実話であることが圧倒的な強み。
どこか素人っぽいつくりながら、その背後にある現実の重みがスリリングでさえある。
ふたつの祖国の間で、現実に国境に接して生きている人たちがいる。
国境は人が作るものだ。それなのに、そのむこうには鬼畜が棲んでいるかのような心理が、いかに幼稚か、ほとんど思春期以前の自己防衛本能だが、そういった人間が好んで口にする‘愛国’なんていう言葉を、大の大人が相手にすることはないだろうと思う。「愛国心は悪党の最後のよりどころ」とサミュエル・ジョンソンに言わせた18世紀のイギリスはやはり健全だった。
「デンジャラス・ラン」は、観客の心理を先取りするスピーディーな展開で息をも吐かせない娯楽作品だが、意外にも、「かぞくのくに」とテーマが重なっているのに驚いている。9.11以降、‘愛国’という病理が世界を蝕んでいるあらわれなのかもしれない。今となっては、愛国より売国の方がいくらかマシといっても誰も笑わないだろう。
デンゼル・ワシントンは「ザ・ハリケーン」以来かもしれない。久し振りだけれどかっこよかった。すでに続編が作られることも決定したらしい。日本公開前にすでに全世界で2億200万ドルの興行収入を上げた大ヒットも納得。
「夢売るふたり」には、うちのめされた気分。西川美和監督は、今後これ以上の作品が作れるのかと心配になるくらい。でも、多分作るんだろう。そういう名作意識で作品に臨んでいないから、こういう映画ができるんだろう。
伏線とか構成とかいうテクニカルなレベルではなく、意味のある偶然とかそういう言葉を使いたくなる。
ラストシーンでは、私の隣のおばさんがおもわず「あらっ」と言った。
いろいろネタバレを言いたくなるけれど、映画を観る人のために何も書かずにおく。とにかく最初から最後までみごととしかいいようがない。
もちろん松たか子と阿部サダヲの存在感は圧倒的だった。すばらしい。