天皇、国家元首

knockeye2012-09-10

 米朝師匠の落語の、何だったか思い出せないのだけれど、‘古い’ってことを表現するいいまわしに「弘法大師のあたまに髷がのってる」というのがある。
 これの何が面白いかというと、落語のなかでこれを言う江戸時代の人にとっては、「弘法大師の頃」だけでも古いのに、その弘法大師がまだ髷を落としていないころ、という大げさな表現がおもしろいのだろうけれど、それを落語のセリフとして話したり聴いたりする今の私たちにとっては、それに加えて、弘法大師という奈良とか平安とかの人も、自分たちと同じように髷を結っていたと信じている、江戸という時代の太平楽な感じがなんといっても味わいだと思うがどうだろうか。
 これを思い出したのは、維新の会の橋下徹が「天皇国家元首とする」といったとか小耳にはさんだので。
 これの笑いのポイントは、例に挙げた弘法大師よりさらに手が込んでいて、何から始めようか迷うのだけれど、まず、天皇という存在は、その起源をたどっていくと、歴史が神話の向こうに消えていく、そのくらい昔からこの国にいる。この国が日本と呼ばれるよりさらに昔からいる。それに比べて、国家元首などという概念がどれほどのものかっていうことなんだけれど、それは、あくまでもヨーロッパ、つまりユーラシア大陸の西に突き出た半島の中で、一時期通用していた泡沫のような概念にすぎないと思う。
 天皇をそういう国家元首なんていう概念にむりくりおしこめようとした明治の態度は、いま、21世紀に生きている私たちにとっては、かなり笑えると思うのだけれどどうだろうか。
 明治維新に肯定的な側面がいくつもあるのはもちろん認めるが、ただ、当時のヨーロッパに流行していただけにすぎない考えを、全世界共通で恒久的なスタンダードだとはきちがえた滑稽さは、その否定的な側面の最たるものだ。橋下徹の態度は、この明治の滑稽をそのままなぞろうとしているかに見える。それじゃ「維新の会」じゃなくて、「明治維新保存会のみなさん」だよ。
 そして、その滑稽がやがて巨大な惨劇につながったという記憶も忘れるべきではないだろう。
 日本人で、天皇を知らないという人がいるか?天皇という概念は、少なくとも日本人にとって、国家元首などというあやふやな概念よりはるかに明瞭だと思う。そしてその概念を、あえて、外の世界に説明することを考えた時、‘国家元首’の方が‘象徴’より正確かというと、そんなことはないと思う。あえていうならば、国家元首よりも象徴天皇のほうが日本人の実感にまだしも近いのではないか。
 加えて、最も重要なことは、終戦という大団円のあと、昭和天皇と平成天皇が‘象徴天皇’として現に生きてきたというその歴史の重みを発無することはできないという点である。
 視点を変えれば、実際、象徴から国家元首に変わったとして、天皇の権限になにか変化がありうるかといえば、そんな変化が起こるはずがない(それとも現在の天皇は退位してだれか別の人がなるの?)。だが、そういう、レトリックにすぎないことで、統帥権という権力を手に入れた存在が戦前にいたという事実を忘れるべきではない。別の言い方をすれば、象徴だろうが、元首だろうが言葉の入れ替えにすぎず、実体は何も変わるはずがないのに、橋下徹はなぜそんなことをしたいのか?ということ。
 次に、実際的な問題として、天皇国家元首だとしたとたんに、天皇の戦争責任が浮上する。
 前の戦争を戦った米英中ロ、またオーストラリアや南洋の国々、そして、台湾、韓国、北朝鮮、これらの国々の立場に立ってみて、いまさら天皇国家元首だなどという言いぐさが許されるだろうか。国家元首なら明確に戦争責任がある。当たり前である。
 以上のことは、今つらつらと考えてみただけのことだが、反論もあるだろうが、私としていいたいことは天皇についてではなく、橋下徹についてで、「維新の会」という命名といい、国歌強要といい(そもそもなぜ国に歌が必要なのか、それを強要することで国民に服従を強いるため以外にどんな効果がありうる?)、国家元首といい、橋下徹には国家観がないと、よく言われてきたことだが、むしろ、国家観が19世紀で止まっているという風に思えてくる。歴史の授業がそこで終わって、あとは受験勉強していたのかもしれない。いずれにせよ、橋下徹の国家観は、明治維新負の遺産をそのままなぞっている。その結果はもう私たちは知っている。従軍慰安婦について同時に発言していることもここに書いてきたことと矛盾しない。
 橋下徹は、地方政治家としては有能だったと思うが、国政を担うためには、歴史に対する洞察と未来に向かう発想と、国際政治の感覚が欠如していると思う。