田中秀征は全共闘世代、莫邦富は文化大革命を経験している。
いつか見た悪夢だろうか。
彼らの文章を読んでいると、言葉は祈りのようなものだと思えてくる。
だが、その祈りのうすぎぬをはぎ取った現実はといえば、ただバカが暴れているだけ。中国、韓国、ネトウヨ、イスラム、デモデモデモのこのごろだけど、国籍、宗教の別なく、愛国者はみんな同じ顔をしている。
彼らをして国を愛せしめよ。私は私の週末を愛す。
コンビニの雑誌の表紙を、いい女が飾っていることを喜び、夜中のアイスクリームを食うべきか、腹をなでて悩む。巨人の優勝を苦々しく思い、イチローのホームランにわくわくする。愛国者には是非とも軽蔑してもらいたい。
しかし、言葉は祈りであるだけでなく、また、呪いでもあるだろう。‘愛国’は、なかなか強力な呪文だが、私にはそれは効かない。だてに人生を棒に振っていないということかな。