腰が立たないので読書

knockeye2012-10-08

 せっかくの三連休で、ようやく秋らしくなってくる十月はすきな月なのだけれど、この土曜日に半日ほど休日出勤をして仕事を片付けようとしたら、何のバチが当たったのか、ぎっくり腰をやってしまって、休みの三日間は、家を出ず、めしも食わず、ぎっくり腰をやった人はわかるだろうが、脱ぎ捨てた靴下もひろえず、という状態で、ひたすら寝て暮らした。
 どこへも出掛けられないので、ベッドのまわりに散乱している本を片っ端から拾い読みした。

きもの (新潮文庫)

きもの (新潮文庫)

Me―キャサリン・ヘプバーン自伝〈上〉 (文春文庫)

Me―キャサリン・ヘプバーン自伝〈上〉 (文春文庫)

Me―キャサリン・ヘプバーン自伝〈下〉 (文春文庫)

Me―キャサリン・ヘプバーン自伝〈下〉 (文春文庫)

日本人の坐り方 (集英社新書)

日本人の坐り方 (集英社新書)

ティンブクトゥ (新潮文庫)

ティンブクトゥ (新潮文庫)

 幸田文の『きもの』
 幸田文最晩年の生前未発表だった小説。日露戦争から関東大震災までの普通の暮らしを、こういう風にちゃんと描いた小説は、そんなにないのかもしれない。堤清二の解説を読むまで私小説だとは気付かなかったくらい。
 キャサリン・ヘプバーン自伝『Me』
 これは芝山幹郎訳。キャサリン・ヘプバーンは、幸田文の三歳年下にすぎない。境遇はもちろんまったく違うけれど、でも、あんがいそんなに違わないのかもしれないと勘違いするくらいなのは、‘自分のボートは自分でこぐ’っていう、知的で、自立した女性の魅力だろうかと思います、どちらも。
 じつは、「湖」の章から読み始めて、これは全部読もうと思ったわけ。
矢田部英正『日本人の坐り方』
 おもしろいフィールドワーク。
 明治以降、いろんなウソの日本文化がひろまったんだけど、正座っていうのもそのひとつで、そもそも‘正座’って言葉自体が明治までなかったのですと。
 お茶席でのすわりかたも、江戸初期くらいまでは立て膝が礼法だったそう。
 夏目漱石の全小説を調べた人がいて、「正座」という言葉はひとつもなかったというのも面白い。正座を表す言葉として使われているのは「かしこまる」あるいは「端坐」。
 ようするに今でいう‘正座’は、下っ端が恐縮している感じだったのが、明治の中央集権的な政策から、教育の中に組み込まれていったみたい。当初は、かえって教育に悪いという反論もあったみたいですが、そこは日本人、正しいかどうかより、多数派かどうかが物を言いますから。
 それから江戸時代の女性に、いわゆる‘正座’の習慣が広まったのは、幕府が反物の幅を狭くするおふれを出したからというのも、いかにも徳川らしいけちくささで笑った。
ポール・オースター『ティンブクトゥ』
 柴田元幸訳。訳者の解説によると、ポール・オースターは「ドン・キホーテとサンチョパンサの現代スクリューボール版」と語っているそうだ。