- 作者: ウィリアム・ピーター・ブラッティ,白石朗
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2012/09/21
- メディア: 文庫
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出だしは、ちょっと柳広司の『ジョーカー・ゲーム』を思わせるスパイ小説みたいなんだけど、舞台がイスラエルに移ると一転雰囲気が変わる。最初のインパクトが強烈なので、それがこの話のどこにつながってくるのかっていう緊張感を持続させて、最後の謎解きを盛り上げる。ところどころでちらちら顔を出す、おやっと思わせる伏線も効果的。
「エクソシスト」という映画は、公開当時、なんかスプラッタホラーみたいに思っていたところもあり、こんな緻密な書き手の原作だったとはまったく思いも寄らなかった。
それで、これは『エクソシスト』の原作も読まなければ、と思って、アマゾンに行ってみたら、日本語で手に入る『エクソシスト』は翻訳がひどいという、かなり説得力のあるレビューがあり、これはまた時代背景を考えると、さもありなんと腑に落ちるところもあるので、あきらめることにした。
ナボコフの『ロリータ』における若島正みたいな人が現れて、いつのひか『エクソシスト』を救ってくれることを切望したい。それか、自分で英語を勉強するか。
ところで、聖書って小説に引用される回数は他の追随を許さないでしょうね。わたくし聖書そのものは読んだことがないけど、聖書の引用にはずいぶんふれてきた。この『ディミター』に引用されている部分もおもしろい。
わたくしキリスト教という宗教にはまったく感心しないのだけれど、聖書を読む人には共感するところがある。それは、その人たちは、自分で聖書を読むことで、宗教としてのキリスト教を相対化していると思うから。グーテンベルグの印刷術が聖書を教会から解放して、一般家庭へと普及させたことが、プロテスタントを出現させた。プロテスタントってつまり聖書を読むことなんだうろ。
正宗白鳥が小林秀雄と対談した時、オフレコで(つまりまだ録音がはじまっていないとき)、「日本のホテルは聖書がないところがあって困る」と言ったそうだ。夫人も証言していたと思うが、聖書はそれこそ毎晩読んでいたらしい。
翻訳の話に戻れば、正宗白鳥の読んでいた聖書はどんな翻訳だったんだろう。名高い明治元訳聖書なのだろうか。これもプロテスタントの信者たちによって翻訳されたものだそうだ。
正宗白鳥にとって、聖書とキリスト教は、かならずしも重なっていなかったのではないかと思う。