巨匠たちの英国水彩画展

knockeye2012-10-21

 Bunkamuraミュージアムで、マンチェスター大学ウィットワース美術館所蔵「巨匠たちの英国水彩画展」。
 J.M.W.ターナーのよいものが期待した以上に多く、ひそかに色めいた。
 ターナーは油彩画ももちろんよいのだけれど、画家としての核は水彩画にあったと見た方がわかりやすいのかもしれない。
 いうまでもなく油彩画は何度でも上書き可能で、制作態度としては‘描いたものがどう見えるか’ということにウエイトがおかれるのに対して、水彩画は、とくに透明絵の具を使うばあい、最初のタッチが作品になるわけで、つまり、‘見たものをどう描くか’ということにウエイトがかたよる。
 したがって、水彩画の態度は、いきおい再現ではなく表現を重視することになる。
 たとえば、ターナーの有名な油彩画に<平和−水葬>がある。この絵は、船旅の途中に客死し、ジブラルタルの沖合に水葬された画家サー・デイヴィッド・ウィルキーの追悼に描かれた、夕景に二艘の帆船を描いた絵だが、当時、この絵の船の帆が不自然に黒いことが批判された。ところがターナーはこう言っていたそうである。
「わたしはどのような色を使っても、この帆を暗くしたいのだ。」
 ほかにも、<雨、蒸気、速度 − グレート・ウエスタン鉄道>も有名な作品だが、この作品などは、モネの<印象・日の出>よりも、はるかに斬新で、ターナー印象派の先駆というのもうなづける。
 日本好きのモネは、おそらく水墨画にインスピレーションを獲ていただろうが、考えてみれば、さきほどあげた水彩画の特徴は、水墨画と似かよっている。
 ターナー表現主義、即興性といった特徴は、水彩画的な気質が育んだのではないかと思う。まるで水彩画のように油彩画を描いた。上にあげた二点の代表作は、そのように解釈することもできるかと思う。
 今回展示されている作品でいえば、‘色彩の始まり’の二点などは、印象派どころか水彩のフォービズムといいたいくらいだ。
 ターナーの名前は、夏目漱石が「坊ちゃん」で紹介したせいもあって、英国人の画家のなかでは知名度が高い。それで、これだけターナーの作品が多いのならば、ターナーの水彩画展と銘打ってもよさそうなものだが、今回の展覧会はターナーだけでなく、ラファエロ前派のロセッティ、ミレイ、バーン・ジョーンズ、の作品もあり、それにくわえて、ウィリアム・ブレイクがある。<日の老いたる者>の存在感は圧倒的。
 巨匠たちの英国水彩画展の名に恥じないおなかいっぱいの展覧会。12月9日まで。