美術展6つ

knockeye2012-11-03

 週刊朝日が部落差別キャンペーンをやってくれたおかげで、先週の日曜の記事をスキップしてしまった。これにかぎらず、最近のマスコミをめぐる様々な出来事を思うと、かつては権力の監視をその役割として期待されていたマスコミだが、いまはそれ自体で、監視されるべき巨大な権力になってしまった。しかも、情報を操作することで、行政、立法、司法にさえ影響力をもつ権力のひとつなのだから、報道という権力も、何らかのかたちで相対化されなければならないだろう。
 その意味で、私たちにまずできることを考えると、‘正義’ということばをうかつに使わないことだろう。このところ(というか、正義の味方鳩山邦夫が息巻いてくれて以来)、‘不正義’という気持ち悪い言葉がやたら目につくようになった。おそらく英語の‘injustice’の訳語なんだろうが、すくなくとも日本語で字義を解釈すれば‘正義じゃない’という意味でしかない。
 太宰治の『人間失格』に‘罪’の対義語は何かについて、主人公が友人と議論するところがあるが、‘罪’の対義語が‘罪じゃない’では話にならない。つまり、‘不正義’ということばは、対立する価値観を提示せずに、ひとつの価値観からそれに属さないものを否定する‘独善’にすぎない。そのような態度で‘正義’という言葉を使うことが定着してしまった状況では、‘正義’という言葉自体がもはや意味をなさない。今のような状況で‘正義’ということばを平気で口にする人はそれが誰であっても警戒した方がいいだろう。
 こんなことを書いていると、また本題に入れなくなってしまう。先週と今日、あわせて六つ展覧会に行った。
 出光美術館 「琳派芸術 2」
 ブリジストン美術館 「気ままにアート巡り」
 東京都美術館 「メトロポリタン美術館展」
 太田記念美術館 「没後120年記念 月岡芳年」後期
 根津美術館 「ZESHIN」
 国立新美術館 「リヒテンシュタイン
どれも見応えのある展覧会だったが、このなかで個人的にひとつオススメをあげなければならないとすれば、根津美術館の「ZESHIN」だろう。
 幕末から明治にかけて活躍した画家、漆芸家の柴田是真については、いぜんにもいちど三井記念美術館でまとめて見たことがあった。あのときもかなりなヴォリュームだったので、今回も重なる部分が多いだろうと思っていたら、これが大間違い。まだこんなにあるのかと驚いてしまった。さらには、あのときにも劣らない名品揃い。あらためて柴田是真のセンスに舌を巻いた。
 あのときにも紹介したと思う‘折れ釘’の意匠にも再会した。黒い漆の画面に折れた釘が一本、洗練の極み。今回は‘おがくず’の意匠もあった。
 ところで、いま横浜美術館で「はじまりは国芳」という歌川国芳の展覧会が開催中だが、歌川国芳も一時期、柴田是真に弟子入りしていたことがある。是真の方が年下なのだが。国芳の絵を知っている人ならこれが柴田是真の画力の説明になるだろうと思う。円山四条派に学んで、浮世絵とは違うのだが、今回展示されていた鯉の絵には、ちょっと国芳の金魚を思い出させるものがあり、くすっとさせられた。特に漆絵という画法は是真オリジナルのもので、他にはない独特の味わいがある。
 そして今回なんといっても紹介したいのはこれ↓。

 図録の写真をさらにデジカメで撮ったこんなものではとても伝わらないので是非足を運んでほしい。
 根津美術館にいったら、そのまま地下鉄で一駅。か、表参道をそぞろ歩いて、太田記念美術館にゆくとよい。月岡芳年の展覧会が、後期に展示替えして開催中。「うぶめ」がなくなったのは残念だけれど、魁題百撰相には単なる血みどろを超えて胸を打たれるものがある。芳年は、上野の彰義隊を実際に取材したと聞いている。
 奥州安達ヶ原のように、思わず目を覆う、だが、その指の隙間から覗かずにはいられないといった危うさが月岡芳年の絵にはある。そこには明治という時代の振り幅の大きさが正直に反映されていると思えてどこかなつかしい。揺れる価値観に振り落とされないように、必死でしがみついている庶民のひたむきさみたいなものを感じる。
 ほんとはその足で横浜の国芳を観にいけばつながりが良かったが、朝一、上野の東京都美術館メトロポリタン美術館展を訪ねたので、閉館間際に気ぜわしいかと思い後回しにした。
 メトロポリタン美術館展にかぎらず、上野の美術館を訪ねる時は、まず朝一番にならぶ。そして、開館と同時にお目当ての絵に一直線。こうすると、たとえば、今回の場合、ゴッホの糸杉を独り占め(に近い。今回はもう一人いた)できる。それでも5分程度かな。
 ゴッホの糸杉だけでなく、今回の展覧会は、東京都美術館学芸員さんが、メトロポリタン美術館学芸員さんに「どれでも好きなの持ってっていいよ」といわれて持ってきた、みたいな贅沢なゆるさを感じた。
 ターナーヴェネチアを描いた絵の横に、モネの<マヌポルト>という断崖の絵があり、その横にセザンヌの<レスタックからマルセイユ湾を望む>、その横にヴラマンクの<水面の陽光>。ロマン派からフォービズムまでの変遷を、海の表現を通して一覧できる。同じ部屋にユベール・ロベールの<滝に架かる橋>とサージェントの<アルプスの小川>があり、となりの部屋にホッパーの<トゥーライツの灯台>といった具合。

 このなかのどれかひとつだけでもピンと来るものがあるなら見に来る値打ちがあります。できれば朝一で。
 ブリジストン美術館の「気ままにアート巡り」は、同館の所蔵作品だけだと言うことを考えると、なかなかのもの。とくにテーマを絞らなくても、並べておくだけで展覧会になるのがこの美術館の悩みなのかもしれない。
 今回は、ピサロシスレー、マルケといった、何の変哲もない風景が気に入った。もちろん、ピカソマチス、モネの有名な作品もよかったけれど、何の変哲もない風景を描けるってこのひとたちすごいよなと、しみじみしてしまった。何の変哲もないけど、いい絵なので。
 このブリジストン美術館と、出光美術館は先週の日曜日。出光美術館の「琳派」は、大震災で中断したものを再構成したということ。だから見たものもあったが、中村芳中など周辺の画家でめずらしいものも追加されていて楽しめた。この大阪の画家は琳派といいつつ独特で面白い。
 国立新美術館リヒテンシュタインは、横浜にまわる代わりに立ち寄っただけだけれど、思ったよりずっと良かった。


 それから上野のついでに国立科学博物館のチョコレート展ものぞいた。もっと、チャーリーとチョコレート工場みたいなのを期待してしまったけど、さすがにあそこまではいかない。チョコレートの門の前にチョコレートの汽車はあったけど。