梶井照陰 写真展「HARBIN 2009-2012」

knockeye2012-11-05

 きのうのつづき。
 横浜美術館に「はじまりは国芳」を訪ねたら、ぜひ、アートギャラリーで開催中の‘梶井照陰 写真展「HARBIN 2009-2012」’もおすすめしたい。11月18日までと期間が短いのが残念だが、入場は無料で写真撮影も許可されている。
 梶井照陰というひとは、佐渡島に住まいする真言宗のお坊さんで、佐渡島に打ち寄せる‘波’の写真集が話題になったことがある。
 日本海側に暮らしていたことがあるものとしては、冬の日本海の波はただそれだけでちょっとしたもので、知らない人には見せたくなる。防寒対策さえちゃんとしておけば、海辺に立ってぼーっとしているだけでヒーリング効果があるのではないかと思う。逆に死にたくなる可能性もある。

 それはともかく、その梶井照陰というひとが、お坊さんという、比較的時間が自由になりそうな立場を利用してか、あるいは、真言宗の開山、空海のひそみにならってか、急速に近代化していくハルビンに長く滞在してものした写真の展覧会。
 2009年から2012年というわずか四年間でのこの激変は、わたしたちがかつて体験した高度成長期よりもはるかに急激ではないかと思う。小泉政権を批判したいがために角栄政治を持ち上げようとする風潮があるが、高度成長がもたらしたひずみは、あるかなきかの‘格差社会’などというものとは比較にならない。
 以前、フェリックス・ティオリエが撮ったパリ万博の頃の写真の中に、フランスの炭坑夫の写真を見た時、西欧人の目に写る高度成長期の頃の日本は、いまのわたしたちが見ている中国のようだったたのではないかと想像してみたことがあった。
 ただ、そうした図式的な理解の網の目からは、たぶん、あまりにも多くのものがこぼれ落ちてしまう。
 たとえば、このおじさんなんだけど、↓

 日本人が向けたレンズの前で、こんなおどけた格好をして見せてくれる。わたし自身は、こんなふうにあけすけに、ポケットを裏返してみせるような人との接し方ができない。だから、わたしにはこの写真がまぶしい。だが、旧市街が取り壊されて、近代化されたハルビンの街角でも、このおじさんはこれをしてくれるだろうか。
 2002年にバイクでロシアを横断したとき、レナ川をフェリーに乗って遡航した。そのとき、一緒になった家族と2日ほど一緒に旅をした。テントで一人旅の私を気づかってくれたのである。一日目は途中の河原でキャンプをした。翌朝、目覚めると、ご主人が私が寝ている間に泥まみれのバイクをぴかぴかに磨いてくれていた。
 次の日、私のジェベル200では、とても彼らのスピードについて行けないので、わたしはホテル(ロシア語では‘ガスチーニツァ’というのだけれど)に宿をとることにした。そのとき、バイクを磨いてくれたご主人は、ホテルの部屋まで荷物を運んでくれて、とてもさびしそうな顔をした。傷ついたといった方が正確かもしれない。洗面所を貸してくれといって、ホテルのタオルで顔を拭いていた。
 二ヶ月ほどをかけてロシアを往復したのだが、思い出すのは人のことばかり。わたしにとっては、彼らがロシアという国の中に埋没してしまうことはない。私自身も、日本という国のパーツになるつもりはない。
 最近、中国の経済に陰りが見え始めたとかで、‘中国の次はどこだ’とか、反日デモがあっても‘中国が巨大な市場であることに変わりはない’とか、顧客を市場ととらえる発想には私は異を唱えたい。顧客は市場ではなく人であるはず。結局、顧客との関係は人間関係以外ではありえない。
 下の記事にあるようなトヨタの取り組みが、日本企業がが海外で成功してきた本質だということを思い出すべきだ。そうでなければ、日本企業は世界のどこに行っても、つまみ食いのハゲタカ外資にしかならないだろう。


[rakuten:book:16192768:detail]