「のぼうの城」

knockeye2012-11-11

 社員旅行の帰りみち、ちょうど時間もよかったし、なにより厄落としの意味で、なにか映画をと、「のぼうの城」を観た。
 この映画は原作がベストセラー、そのぶんハードルは高い。そういうわけで、あまり期待するのも気の毒だと思ったけど、野村萬斎の‘のぼう様’成田長親に惹かれるものがあったので。
 しかし実際に観てみると、キャスティングの妙でほとんど成功が約束されたようなものだったかと。野村萬斎はもちろんだけれど、佐藤浩市山口智充榮倉奈々山田孝之鈴木保奈美、そして、意外にも、石田三成を演じた上地雄輔がなるほどだった。
 この石田三成忍城攻略については、最近では「へうげもの」にも描かれていたし、わたしがまず思い出すのは、井伏鱒二の「武州鉢形城」。いずれにせよ、このときの石田三成の水攻めが愚策で、秀吉の猿まねであることに反論はしにくいけれど、しかし、どういうわけであんな愚策に走ったかというあたり、この映画、なかなか説得力があり、石田三成がただの悪役にならずにすんでいる。そういう石田三成に、意外にも、上地雄輔がぴたりとはまっていた。
 20000対500の攻防みたいないわれ方をしているけれど、そういう戦術的な面よりも、政治的なコンテキストが重要だったということがきちんと描かれている。つまり、勝ち負けに関しては、はじめから決まっている戦いだったわけで、そうなると、結果よりも、どう勝つか、どう負けるかということが問題の本質になる。だから、2万の軍勢が500の兵を攻めあぐねることもおこりうる。負ける側が、勝つ側に勝ち方の選択を強いる、なかなか高度な駆け引き。
 脚本ももちろんだが、それを絵的に説得力のあるものにしたのは、キャスティングに加えて、CGの技術だったろう。この映画、犬童一心樋口真嗣のダブル監督なのだそうで、犬童一心樋口真嗣のCGを見込んで、共同監督を提案したらしい。
 佐藤浩市が演じた正木丹波守の一騎打ちのシーンは痛快だった。命のやりとりが公正であること、そしてその価値観が、その戦の世をひとくし貫いていると納得させるよいシーンだった。どうせ人は死ぬ。そのとき、死についての価値観が洗練されているのは望ましい。ああいうシーンを残酷としか観ないのはセンチメンタリズムにすぎないし、文化的な程度の低さだろうと思う。
 ただ、公開が遅れる原因になった水攻めのCGは、たしかに東日本大震災津波を思い起こさせるリアルさ。津波がトラウマになっている人は観ない方がよいのだろう。
 榮倉奈々甲斐姫が可憐。