「希望の国」

希望の国

 最初に元も子もないことをいってしまうと、「ヒミズ」の方がよかったと思う。
 「ヒミズ」は、古谷実の2001年を舞台に設定したコミックが原作にあって、その制作途中に2011年3月11日の東日本大震災が起こったために、園子温監督が急遽、舞台設定を震災後に書き換えたといういきさつがあった。
 もともと「ヒミズ」を原作に選んだ理由について、園子温監督は

「2001年の若者のリアルを描いていて凄くいいな」と感じて、自分がオリジナル以外で作品を作るならば『ヒミズ』がいいと思った

と語っている。
 つまり、「ヒミズ」は、2001年のリアルに、2011年のリアルが侵入した、その緊迫感があの映画全体のテンションを一段高めていると思う。
 クリエイター個人の力の及ばない、‘時代の波’というか、最近耳にする言葉でいえば‘潮目’というかが、ときに作品を高みに運ぶということはありそうに思う。
 もちろん、あの映画は染谷将太二階堂ふみの存在がすばらしく、かれらを起用して

「子どもである」という部分で勝負をしたくて、彼らの存在をそのまま見せるような形に

した園子温監督の構想を評価すべきだろう。
 以上は、「ヒミズ」についての話。今度の「希望の国」は、わたしのこのみからいうと、もし、以下のインタビューを読んでいなかったら、見に行かなかったろうと思う。園子温監督は「ヒミズ」の公開前に‘「希望に負けた」という気持で’という印象的な言葉を使っていて、こんどの「希望の国」がその言葉とリンクしていることはほぼ間違いないだろう。

 しかし、だからといって名作になるかというと、なかなかそうはいかない。というのは、「ヒミズ」の場合は、さっきも書いたように「ヒミズ」という枠組の中に東日本大震災がなだれ込んで、いわば‘憑依’したことが、作品を鬼気迫るものにした。「希望の国」では、枠組が東日本大震災なのである。その枠組にどのような物語が有効なのか、わたしたち自身がまだよくわからないのかもしれない。
 たとえば「その街のこども」を思い出してみるとよい。森山未來佐藤江梨子阪神淡路大震災を実際に経験したふたりが演じる物語はせつないが、あの小さな希望にたどりつくまででも、15年の歳月を要したことをおもえば、原発事故の終息のめどさえ立たない今は、核心に届くことばひとつみいだすことさえむずかしいはずだろう。
 ‘やるしかなねえか’という感じで作った映画だとおもって、‘観るしかねえか’という感じで観てきたということ。
 夏八木勲大谷直子の演じる老夫婦と、清水優、梶原ひかりの若いカップルの対比が鮮明なのに対して、その合間にいる村上淳神楽坂恵の若夫婦が消化不良に感じた。
 その感じを突き詰めれば、やはり、原発反対派と原発推進派の価値観の対立を徹底して掘り下げないかぎり、このテーマはリアルにならないということなのだろう。