今年の美術館はじめは、思いがけず、マウリッツハイス美術館展を神戸市立博物館で観ることになった。
関東では、東京都美術館のリニューアルオープンに企画された展覧会で、場所は上野ということもあり、フェルメールのなかでも、もっとも人気のある<青いターバンの少女>が目玉とあっては、これはもう混雑ぐあいを想像してみるだけでもぐったりするので、実は、はなからあきらめていた。それに、あの絵は、2000年の夏に大阪で観たということもあった。
あの夏も並んだ。行列嫌いのわたしとしては、今まで生きてきていちばん並んだ行列は、あのフェルメールだったと思う。たぶん、わたしひとりだったら行列を一瞥して退散していたか、もしくは、朝早くでかけていただろうが、大阪ということで、家族と一緒だったはずだ。ところが、今日聞いてみると、両親とも行った記憶がないという。父はいなかったとしても、母はいたと思うのだが、もしかしたら、神奈川の叔母を案内したのかも知れなかった。
正月の帰省は、いつも、美術館の方でもおやすみなので、たいがいどこにもでかけないのだが、今回はカレンダーの案配がよく、わたしは6日まで休み、それに、都合がいいことにこの展覧会も6日まで。そのうえ、なぜか知らないが、両親が只券を手に入れていた。
九時半の開場を10分前までには到着したが、それでももちろん並んでました。でも、わたくし東京の行列を見馴れたせいか、これならと、ちょっとほっとしたのもほんとうのところ。東京はどうしてああ行列ができてしまうんだろう。
とにかく、<青いターバンの少女>さえ観られればいいわと直行したが、この展覧会、そのほかにも、レンブラント、ルーベンス、ヴァン・ダイクといい絵が多く、お正月から得した気分だった。こういうのを‘眼福にあずかる’というのかも。
ところで、2000年には<青いターバンの少女>であった絵のタイトルは、今回なぜか<真珠の耳飾りの少女>に変わっていて‘?’と思ったのだが、どうやら、この間、2003年に「真珠の耳飾りの少女」というイギリス映画が公開されたので、それにあわせたということらしい。アラン・ドロンの「太陽がいっぱい」が、マット・デイモン主演の「リプリー」とリメイクされて公開されると、パトリシア・ハイスミスの原作も『リプリー』という題になって書店に並ぶのと同じ。
今回、フェルメール作品はもうひとつ、<ディアナとニンフたち>という絵も展示されていたが、これは、今では考えられないことに、フェルメールのサインがニコラス・マースというサインに偽造されていたそうだ。「このサイン偽造だわ」と削ってみたら、その下からフェルメールのサインが出て来た時の驚きは、想像してみると可笑しくなる。ほんと、フェルメールの人気が高まったのはつい最近で、少なくとも日本では80年代に入るまでは、「誰それ?」くらいのことだったと記憶するが、ヨーロッパでも古くから巨匠扱いされていたわけではないらしい。
それから、ルーベンスの<聖母被昇天(下絵)>は、童話「フランダースの犬」のネロ少年が最期を迎えるあの絵です。あの童話も本国ではほとんど忘れられていたのを、日本のアニメで逆輸入されて人気が出たということらしい。
そういう、ちょっと不思議なことってけっこういっぱいあって、中国ではあまり評価されない牧谿が日本ではやたらと受けるとか、ベルナール・ビュッフェも日本での方が人気があるというし、ロックではクイーンがまず売れたのは日本だったとか。
書き忘れましたが、下絵といっても、教会の壁画のほうは共同作業になるので、ルーベンスのオリジナルという意味ではこの下絵の方だそうです。
去年、シャルダンを観たせいかもしれないけれど、静物画がいちばん気に入りました。ピーテル・クラースゾーンの<燃えるろうそくのある静物>、それに<ヴァニタスの静物>。
その次に肖像画ですね。アンソニー・ヴァン・ダイクの<アンナ・ウェィクの肖像>、ペーテル・パウル・ルーベンスの<ミハエル・オフォヴィウスの肖像>。
ほとんどだまし絵に近い。油絵という画材は、静物と肖像にいちばん威力を発揮するように思いました。
↓これは今回イメージキャラクターを務めた武井咲のお見立て。
↓これは映画「真珠の耳飾りの少女」のスカーレット・ヨハンソン。
こう並べてみても本家がいちばんきれいか。フェルメールの絵の少女はすこし上目遣いで、画家はすこし見下ろす角度のようですね。