先週、首都圏にしては大雪に見舞われた影響で、店頭に並ぶのが遅れた今週のニューズウイーク日本版は「日本経済を救う?アベノミクス」と題して、第二次安倍政権の経済政策について集中的な特集を組んでいる。
なかでも読み応えがあったのは「世界に愛されるアベノミクス」という、ピーター・タスカの書いた記事。英語でのタイトルは‘ABE is singing the right songs’安倍は正しい歌を歌ってる、ということなのだ。記事の本文にもあるとおり、なんといっても、野田佳彦が衆議院選挙を決めた後、「日経平均は20%近く上昇した。安倍は、文字通り、指一本動かすことなく時価総額でおよそ50兆円の富を生み出したわけだ」から、彼が歌っている歌は国の内外で高く評価されているといってよいだろう。
問題は、その歌に会わせて踊れるか、つまり「妥協を求める圧力をはね返し、選挙中に約束した『スピード感のある成長戦略』を実行に移せるかに懸かっている。」これはまさしく、ひとえにかかっている。
では、なぜ、第一次安倍内閣の当時「ろくな業績を挙げて」いない安倍晋三に、意外ともいえる、これほどの歓迎ムードが「世界中の投資家」から寄せられるのかについて、いいかえれば、第一次安倍政権時と現在では何が変わったのかについて、ピーター・タスカが指摘しているのは、リーマンショック以降の世界の「日本化」だ。第一次安倍政権当時は、世界の投資家たちは、自分たちの国が「日本化」するとは夢にも思っていなかっただろう。しかし、結局、その「日本化」に対する処方としては、FRBのバーナンキ議長や、イングランド銀行のアダム・ポーゼンのとった積極的な量的緩和策に、それを巡る激しい論争や非難にもかかわらず、いまのところは軍配が上がっている。そして、欧州中央銀行やスイス国立銀行がそれに追随するのを見たあと、そのさきがけとなったはずの日本を振り返ってみたとき、
日本はほとんど何もしてこなかった。過去10年間にわたり、ほぼすべての政権がデフレ脱却を政策課題に掲げてきたが、何の成果も挙げられなかった。理由は簡単だ。日本銀行は97年の日銀法で独立を確保したものの、実質的に責任がない。
(略)
経済学の重鎮、故ミルトン・フリードマンは98年、日本経済の問題は日銀の「10年にわたる無能な金融政策」のせいだと論じている。
世界がアベノミクスを歓迎するのは‘ABE SONGS’が、こうした、事実、成果を挙げている金融政策と、ハーモニーを奏でていると聞こえるからである。繰り返しになるが、要は、それを‘実行に移せるかどうか’。
その点、主要ポストの人事は強力なメッセージになる。
(略)
(日銀の)次期総裁に任命されるのが元官僚なら、古い体質が変わっていないというサインになるし、ポーゼンのような新しい考えの持ち主が任命されれば、安倍政権は脱デフレに本気で取り組むつもりだという強力なサインになる。
また、この論者は日本が犯した大きなまちがいとして、消費税の増税も挙げて、むしろ、貯蓄に課税しろと書いている。デフレを脱却しなければならない時に、消費を冷え込ませるのはまったく矛盾している。しかし、このことについては、日本のマスゴミが「決める政治」などという造語で、野田佳彦をおだてて木に登らせていた頃に、まともな論者の多くがいくつも書いていたことと重複するので、ここではくり返すまでもないだろう。
上に概略したピーター・タスカの論は、好意的か、すくなくとも希望的といえる。これに対して前川祐輔が「『3本の矢』と言うけれど・・・」と題して寄稿しているのは、安倍首相が就任後に発表した経済再生への「3本の矢」の「金融政策」、「機動的な財政政策」はいいとして、「成長戦略」に具体性がないと指摘している。これについては、つい先日も上久保誠人が書いていたように、自民党の持病とでもいうべき、族議員の跋扈によって、安倍晋三以下、自民党の首脳陣が思い描く方向とはまったく逆に、既得権益を肥え太らせるだけという結末に十分なリアリティーがある。「古い公共事業がどうとか、いつまでも世間に生意気なことを言わせていてはだめだ」という二階俊博の発言は、自民党の体質が、田中角栄支配の時代から変わっていないことを示している。であれば、せっかくの財政出動も経済を浮揚させない。
また、ダニエル・グロスが「日本株『根拠なき熱狂』の根拠」として、アメリカ人が日本株を買う理由と思われるものを、いくつか箇条書きしているのだが、その中で面白かったのは、「アメリカ人はあまり外国に行かないので、アメリカでうまくいくことは他国でもうまくいくと考えがち」と書いていた。これはたしかに、日本の官僚の政治家に対する抵抗ぶりは、まったく他の国の人の想像を絶するものだろう。
もうひとつ、付け加えて興味深かったのは、千葉喜代子の書いている記事のなかに「大手格付け機関のスタンダード&プアーズが『日本の未来は明るい』と題するリポートを発表した」とあった。この格付け機関については、ついに欧州議会が規制法案を近く発効させるというニュースをこのあいだ聞いた。わたしのようなしろうとには、格付け機関が株価操作しているとしかみえないので、これはまあ至極当然だと思う。ただ、この同じような法案がアメリカで可能かといえば疑問かも知れない。
今週のニューズウイークが読み応えがあるのは、こうしたアベノミクスに関する記事のいっぽうで、シュテファン・タイルの「知らないうちにユーロ圏復活へ」という記事があり、日米英が政府支出を増大させ、金融緩和を継続するのとは逆に、ユーロ圏では、ドイツのメルケル首相の方針に引っ張られるかたちで、狭き門をくぐり抜けようとしている。すなわち構造改革だ。
ユーロ圏諸国は、かつては考えられなかった改革法案を次々に成立させ、官僚機構の削減や規制緩和、財政の健全化に踏み切った。
記事に寄れば、加盟国間の巨大な貿易不均衡はほぼ解消、財政健全化は大半の国で日米に先んじており、政府債務、年金支出ともに制御下に押さえ込んだ。対ドル・レートはサブプライム以前に戻り、株式市況も活況を呈している。
ユーロ圏がこのまま改革の道を歩み、日米が財政赤字と構造改革問題を無視し続ければ、「ヨーロッパは主要先進地域でもっともダイナミックな経済圏に浮上する可能性がある」
そうかも知れないと思う。
先月、選挙が終わったばかりにもかかわらず、もう族議員が跋扈し始めるていたらくをみせられては、日本の未来が明るいとはとても思えない。先の選挙の投票率は、こう思うのがわたしだけではないことを示しているだろう。
ドイツと言えば、福島の原発事故を受けて、脱原発に踏み切った数少ない国のひとつ。そうした信念の強さには学ぶべき点があると思う。