『美の呪力』、ワタリウム美術館

knockeye2013-03-11

 この週末は、わたしにはめずらしく、どこにもでかけなかった。としても、ムリはないだろうと、もし、ブログを概観して、庶民の行動統計か何かを研究している人がいたら、そう思うのではないか。この週末は、とにかく、ちょっとものすさまじい気象だった。ほんとは、金曜日からもうおかしかった。朝、上空に雲ひとつないのに、富士山が見えない。その時点で、何かいるなとは思った。
 わたくし‘スギ花粉症’であったことは一度もないのだけれど、黄砂には激しく反応する。ずっと以前、九州ツーリングの帰りみち、大分から愛媛の佐多岬へフェリーで渡り、四国を横断している最中、ものすごい黄砂につっこみ、涙と鼻水が止まらなくて、途中で一泊せざるえなかった経験がある。あのときは空が黄色かった。
 金曜日ですでに鼻水はだらだらだったけど、土日はそれに加えて、気温の上昇がハンパじゃなかった。最高気温は24度とか。ドアを開けたらむわっとしてた。これで、マスクなんかしてたら暑苦しくて仕方ない。プラズマクラスター全開で部屋に引きこもった。
 ちょっと疲れてもいたんだろろうと思う。土曜日はほとんど寝ていて、日曜日は岡本太郎の『美の呪力』という本を読んだ。1970年、芸術新潮に連載された「わが世界美術史」をまとめたもの。
 あとがきに

 この連載の企画をもって芸術新潮の山崎省三氏が私を訪れたのは一九六九年十一月。ちょうど万国博の準備がまさに追い込みにかかり、現場は殺気立ってきた時期だった。大阪・東京をとんぼがえりの連続。原稿、しかも世界美術史などという、厖大な素材を前提とする仕事に、とうてい取り組める状況ではなかった。 
 しかし、不可能と思われる条件だと逆にやりたくなる。忙しい時期にこそ根源的な問題に身をぶつけたくなる。幸か不幸か、私はそういうたちなのだ。

 あの大阪万博のお祭り広場を突き抜けた太陽の塔を作りながら、この書物は書かれた。

 七〇年万博のテーマ館のために、私は世界の神像・仮面・生活用具などを集める計画をたてた。進歩を競い、未来を目ざすつくりもの、見世物ばかりで何か全体が浮き上がってしまいそうな会場の気配に対して、ぐんと重い、人間文化の深みを突きつけたかったのだ。

 第一線の人類学者たちを専門の地域別、11の班に分け収集に当たらせ、岡本太郎自身も各国政府に働きかけ協力を要請したそうで、

 カナダには、トーテムポール。それとこの機会に「イヌクシュク」をぜひ送ってほしいと申し入れた。政府代表リード氏は快く寄贈を約束してくれた。

 このときの「イヌクシュク」の写真が口絵にあるのだけれど、石を積み上げただけの「ひとがた」だが、素朴で力強く、しかも不思議なことに斬新にさえ見える。わたしは加藤泉の彫刻をこれに重ねて思い浮かべずにいられなかった。縄文土器の美を発見したのも岡本太郎だし、このひとの目の鋭さと知見の広さは、今にいたってますます価値を増しているように思う。
 巻末に付された鶴岡真弓の文章によると、一九七三年、岡本太郎はこの本を携えて、アンドレ・マルローを自宅に訪ね、対談した。

日本の肖像画の感動についてもっと話したいというマルローをさえぎって、太郎は「縄文」と「ケルト」の造形のダイナミズム、無限の宇宙性について熱弁をふるった。

 また、こうも言ったそうだ。
「私が日本のエリートたちに公認された古い芸術形式に味方したら、今の日本の社会、その惰性にも協力することになってしまいます」。

 このところは忙しく、書くことが一週遅れになってしまうのだが、先週の日曜日は、ワタリウム美術館に「JR 世界はアートで変わっていく」を観にいった。今、なにが観にいく価値があるのかと考えると、まずはこれということになった。ワタリウム美術館は、東日本大震災以来、アートが今何ができるかというテーマを発信しているように思う。というか、この美術館の展示を見ていると、アートなんてどうでもいいやという気持ちになれる。

美の呪力 (新潮文庫)

美の呪力 (新潮文庫)