「奇跡のクラークコレクション展」

knockeye2013-03-31

 三菱一号館で「奇跡のクラークコレクション展」。昨日に続いてまた‘奇跡’なんだが、徒歩圏内に‘奇跡’が2つ。東京の企画者たちはよほど語彙が貧しい。
 今度の奇跡は、ようするに、アメリカのマサチューセッツ州、ウィリアムズタウンにあるクラーク美術館がリニューアル工事中のため、所蔵品が世界を巡回しているという。
 わたしたち日本人としてちょっと誇らしいのは、新館の設計は安藤忠雄があたっている。ちなみにこの9日には、香川県の直島に安藤忠雄の美術館ANDO MUSEUMがオープンした。
 クラーク美術館のコレクションを築いたスターリング、フランシーヌ・クラーク夫妻のお祖父さん、エドワード・クラークは、アイザック・メリット・シンガーとともにシンガーミシンを創業した人。この‘ミシン’という日本語を作った人は、どちらさんか知らないけれど、偉かったね。
 入っていきなりの展示室に、ジャン・バティスト・カミーユ・コローの絵が5点。こういう度肝を抜く展示は、個人コレクションの展覧会の場合、大事だと思う。なめんなよっていうことでもあるし、いらっしゃいまほーといったことでもある。
 ただ、コローは2008年に上野で開催された大規模な回顧展がまだ記憶に残っているので、そんなに驚かなかったが、ルノワールの数の多いのと、そしてたぶん、内容が豊富なのには得した気分。ルノワールだけで22点が出展されている。
 図録に面白いことが書いてあるのは、スターリング・クラークは、ルノワールを十指にはいる偉大な画家、とくに色彩家として彼に匹敵するものはないと絶賛しながらも、彼の後期の作品については「ソーセージのような血の色をした・・・」とか、「空気でふくらんだ手足」などと評してまったく買っていなかったそうなのだ。
 スターリングが好んだのは、1870〜80年代のルノワール。たしかにルノワールのように生前から人気があって、作品を量産した画家については、コレクターの取捨選択が大きな意味を持つかも知れない。なぜなら、たとえば、スターリングでなければ、厖大なルノワールの作品の中から、「ソーセージの色をした膨らんだ手足」ばかりのコレクションを見せられたかも知れず、それがルノワールという画家の印象を決定してしまうかも知れないわけだから。
 じつは正直にいって、今までルノワールという画家の印象が、わたしにははっきり定まっていなかった。今回の展覧会を観て初めてなるほどと納得できた気がする。
 たとえば風景画でいえば、いっしょに展示されている、モネ、シスレーピサロといった他の印象派の絵とくらべると、ルノワールの絵はずっと空気感が濃厚。光が対象に与える効果だけでなく、ルノワールの光は画家と対象の間に空気のなかでゆれている。

 会場で、この<シャトゥーの橋>と、ナポリヴェネチアを描いた絵を見比べれば、何よりもその場の空気の違いが描き分けられていることに感嘆するのではないか。
 
 そしてこの<タマネギ>は、スターリングが気に入っていた絵のひとつだそうで、よくこの絵を他の絵を評価する基準にしていたそうだ。
 静物ではこれとグラマラスな<シャクヤク>、そしてシャルダンセザンヌを思わせる<皿のリンゴ>があるが、珍しいと思ったのは、アルフレッド・シスレーの<籠のリンゴとブドウ>。

 シスレー静物はめずらしい。解説によるとまだ9点しか確認されていないそうだ。シスレーらしいなと思うのは、リンゴとブドウの表現ももちろん確かなのだけれど、それよりも、折り目の新しいテーブルクロスと、背景に風をはらんで膨らんだカーテンの効果に画家の興味が注がれているように見える。シスレーはこの光をこそ好んだと思う。
 そして、人物では今回のチケットにも使われている<劇場の桟敷席(音楽会にて)>。

 また、<金髪の浴女>、<うちわを持つ少女>、<鳥と少女>、<フルネーズ親父>など。<金髪の浴女>のモデルは当時いっしょにイタリアを旅行していて、のちに結婚するアリーヌ・シャルゴには違いないそうだが、彼女の名誉のために(といっていいかどうか分からないが)いっておくと、その豊満な肉体はけして写実ではなく、ポンペイの壁画などにインスパイアされたものではないかといわれている。誇張されたプロポーションに、友人やパトロンはちょっとショックを受けたそうだ。もしかしてデブ専カミングアウト?。
 画家たちの女の好みをくらべてみるのも面白い。エドゥワール・マネのベルト・モリゾは黒衣に身を包んだ自立した女性、ドガの無名の踊り子たち、ゴーギャンの褐色の肌をした裸足の女たち、トゥールーズロートレックのジャヌ・アヴリルはきっといつも笑わせてくれる。
 こうして思いを巡らすと、他の画家にくらべて、たしかにルノワールには、線に対する渇望が無いように見える。色彩、量感、質感、それがこの人にとっての美しさだったのかもな。