「愛、アムール」・梅佳代展

knockeye2013-04-13

 ミヒャエル・ハネケ監督の「愛、アムール」を観にいくかどうか迷っていたのは、重いテーマにたじろぐ以外になにかあるのかといえば、人間なんでもいいわけにできるもので、邦題が気に入らないとか、ポスターのセンスがちょっととか、いろいろぐずぐずしていたのだけれど、週刊文春小林信彦がとりあげていたので、いい天気だし、観にいくことにした。小林信彦が誉めている映画なら、とりあえず観にいけばよい。観た後のよしあしは自分で決めるが、観にいくかどうかの判断基準に信頼しても、頼りすぎということにはならないだろう。
 テーマは、ご存じかも知れないが、とてもシンプル。蛇足ながら「現代社会における老人介護」などではない、断じて。そうではなくて、もっとシンプル。誰もが知っていることなので、誰もいちいち言わないが、しかし、誰もが知っているのに誰も泣き叫ばないのはなぜかについては誰も知らない、そういうシンプルなテーマ。
 ちょうど、ナボコフが文学講義のなかに書いていたように
「・・・ある意味では、われわれは誰しも生まれついた高い階上から墓場の平たい敷石のうえに墜落して死んでゆく身の道すがら、不死身の「不思議の国のアリス」といっしょに、眼前を擦過してゆく壁の模様を不思議な目で見つめているようなもの」。
 それにしても、なんとも長い落下の、美しい壁のシミ。
 ミヒャエル・ハネケ監督とジャン=ルイ・トランティニャンは、鳩をシーツでくるむ手の感触を、3Dを使わなくても観客に伝えられると証明している。
 「愛、アムール」を渋谷のル・シネマで観たので、井の頭線で明大前、それから京王新線で初台に出て、こちらは今日が初日の梅佳代展を観にいった。オペラシティギャラリー。
 梅佳代の写真、どこの家のアルバムにもありそうなこれらの写真が、誰にでも撮れると思ったら大きなまちがいだと思い返して、図録を買った。
 「男子」というシリーズの小学生たちは、「うめかよー」と言って、彼女にじゃれついてくるそうだ。
 「愛、アムール」のラストシーンの静謐がまだ余韻を引いていたので、ちょっとこみあげそうになった。
 常設展は、難波田龍起の小特集。病床日誌の連作には心打たれた。