「リンカーン」、「声をかくす人」

knockeye2013-05-08

 映画「リンカーン」は先月21日に観ていたのだけれど、引っ越し、風邪引き、帰省が重なって、つい書かずにいてしまった。
 今年のアカデミー賞授賞式での、ダニエル・デイ=ルイスのスピーチを加藤祐子が紹介している。

昨年「鉄の女」で主演女優賞を受けたメリル・ストリープからオスカー像を渡されたダニエルは、感極まった様子で目を赤くし、そして(おそらくメリルの祝福キスによる)赤いキスマークを頬につけたまま、まずアカデミーと自分の幸運に感謝。続いて、大真面目な顔でこう言いました。

「妙なんです。というのも3年前、役をそっくり交換しようって決める前、僕は実はマーガレット・サッチャーの役をやるって決まっていたので。そしてスティーヴン(スピルバーグ)がリンカーン役に最初に選んだのは、メリルでした。そのバージョンを見てみたいものです。リンカーンについて、僕を説得する必要はありませんでしたが、僕の方が彼を説得しました。僕にリンカーンをやらせたいなら、ミュージカルは止めた方がいいって」

 この「リンカーン」っていう映画が、リンカーンの一生を年表みたいにつづった伝記ではなく、それどころか、晩年のわずか28日間を描いた映画であり、つまるところ、米国憲法修正第十三条を可決するために、リンカーンが、そして、アメリカ国民がどれほど多大な犠牲を払ったか、そういうことがドラマでありうることに、すなおに感動する。
 印象に残ったシーンをいくつかあげると、まず、法案が可決した後、リンカーンが南部の使節団と面会するシーン。彼らは、南部が戦争で分離しているすきに奴隷制撤廃の法案を通したリンカーンのやり方を‘非民主的’だとなじる。耳を疑いたくなる言いぐさだが、こういうことを‘論理的’だと主張できる‘迷妄’に対してどのようにあらがうことができるのかといえば、結局、このときリンカーンがそうしたように、民主的なルールに徹して手順を踏んでいくしかない。遠回りのように見えても、そのやり方が最も強いことを、歴史が証明しているといっていいのではないか。
 こういうとき、いつも思い出してしまうのは、格闘技の前田日明が「‘強い’とはどういうことか?」と訊かれたとき、「ルールだ」と答えたという話。この人はすごいと思った。
 もうひとつは、トミー・リー・ジョーンズが演じた、急進的な奴隷解放論者のタデウス・スティーブンス(ある意味、この映画でいちばんおいしかった)が、法案を通すため、あえて信念をまげて穏健な演説をしたあと、仲間に非難されるシーン。これはやはりよいシーンだと誰もが思うのか、映画の公式サイトで「キャスト」というリンクをクリックすると、その背景画像にあらわれる。
 たしかに、‘博愛’‘真理’、誰が聞いても正しいこと、を大声で叫んでいれば気持ちがよいことだろう。しかし、実際に戦場で血が流されている、多くの若者が死に、あるいは傷ついている、それは何のためかと考えたとき、現実を動かしうる行動を選択すべきではないか。
 わたしは、上の二つのシーンを、東日本大震災以来、原発をめぐってあらそわれてきたこの国の言論のあり方に引き寄せて考えていた。
 最後に上げたいのは、リンカーン家で働いている黒人女性の台詞。正確に思い出せないのだけれどぐっときた。
 わたくしごとながら、そのあと、風邪を引いて、引っ越して、帰省したので、まだ部屋の中はダンボールだらけだが、DMMがお気に入りリストから送ってきたDVDが「声をかくす人」。この映画は、丸の内でも、横浜のジャック&ベティでも観るつもりでいたのに、どういう巡り合わせか観られなかった。
 これが偶然にも、「リンカーン」のラストシーンの後をつぐような後日譚になっている。ロバート・レッドフォード監督。
 リンカーンが粘り強い忍耐力で南北戦争終結させたにもかかわらず、リンカーンの暗殺を巡る裁判は、基本的人権を無視した、人民裁判、または、魔女狩りといったありさまになってしまうことは、人間の凡庸さについて考えさせられてしまった。
 この映画も、リンカーンほど大きな存在ではないけれど、ひとりの弁護士の憲法をめぐる戦い、しかも皮肉なことに、リンカーン暗殺犯の弁護にさいして、リンカーンと同じく、憲法の精神を遵守するための孤独な戦いを描いたドラマ。
 「リンカーン」、「声をかくす人」と続けて観ると、憲法というものは、一度つくってしまえば、後は、指で一押しするだけで、永久に回り続ける永久機関のようなものではないし、そのようなものを期待してさえいけなくて、いつもそのための戦いを強いるものだと気づかないわけにいかない。
 国が国民をあやつる魔法の杖のようなものではなくて、人々が差別と戦うよりどころとしての憲法があり、それが、いまも現在進行形で、こうした優れた映画の創造の源泉となりえているアメリカという国がうらやましく感じられた。