昨日の続き

knockeye2013-06-07

 昨日の続き。
 あいもかわらず、隊列をなして靖国に参拝している日本の政治家は、いかにもスケールが小さく見える。
 靖国は、‘信仰の対象なので、誰が参拝しようが個人の自由だ’という言い方は、一応できる。しかし、政治的に見れば、靖国とは、19世紀的な国家の中央集権装置だったにすぎない。カメラの前でみんなでぞろぞろと参拝するのはその名残りだ。いま政治に求められているのは、それとは逆に、地方分権を進めてゆくことだが、19世紀の政治家の猿芝居を、意味も分からず真似ているさまは、もし、当の19世紀の政治家が見たとしても気恥ずかしく思うだろう。
 くりかえしになるが、そもそも明治維新戦没者を顕彰するために建立された靖国には、はじめから排除の論理が働いている。徳川方の戦没者は祀られていないのだ。それを‘日本人の魂’なんて言い始めると訳が分からないことになる。
 そもそもの建立意図のままの素朴な祠であったなら、‘排除の論理’があったとしても、別に何の問題もない。徳川方の人は徳川方の人で、別の神社を設ければよいだけのことだ。だが、勝谷誠彦のように‘日本人の魂’とか言い始めると、その排除の論理は、はっきりと民族差別へと向かわざるえない。他民族を排除し、また、他の宗教や思想を排除せざるえない。もともとの成り立ちは、‘思想’というほどでもないので、そうしてどんどん先鋭化していけば、どんどんカラッポになる。そのとどのつまりが、特攻隊とか玉砕とか、冷静に考えれば滑稽としかいいようのない無様な犬死にの正当化になる。
 今という時代に、靖国に参拝する政治家は、日韓、或いは、日中でいわれるような意味ではなく、文字通りの「歴史認識」が幼稚だといわざるえないだろう。その意味で、やはり失望せざるえない。
 その意味で、橋下徹慰安婦発言は、一面ではユニークだったと言える。従来の政治家のように躍起になって否定するのではなく、「しょうがないでしょ」といったわけだから。「やったことはやったけど、責任の割合は100とはかぎりませんよ」というのが、もともとの発言趣旨だったと思う。安倍首相の「侵略」発言に対して、「侵略は認める」というところから話が始まっているわけだから。
 ・・・「銃弾が雨嵐のごとく飛び交うなかで、命賭けて、そこを走ってゆくときにね、猛者集団といいますか、精神的にも高ぶっているようなそういう集団、やっぱりどこかでね、まあ、休息じゃないけれども、そういうことをさせてあげようと思ったら、慰安婦制度というのは必要なのは、これは誰だって分かるわけです」
 この一部を切り取って「誤報」などしようもない。・・・と、週刊文春は書いている。この発言自体は間違いなく政治家として‘失言’だろう。が、これを‘切り取って’そのまま書き起こすことがジャーナリズムだと、信じて疑わない日本のマスコミに、わたしは驚かざるえない。橋下徹が、「マスコミの読解力の問題」というのも一理あると思う。
 橋下徹のこの発言以降、わたしもそれについてこのブログに書き続けているわけだけれど、マスコミの解釈とは真逆というほど違っているが、自分で記事を読み直しても、曲庇とは思えないのだけれどどうだろうか。
 たぶん、今の記者といわれるひとたちの仕事は、ICレコーダーに録音した内容を耳で聞いて、キーボードで文字に起こす、それだけなのではないか。頭を通しても、こういう報道になるだろうか。すくなくとも、全報道機関が同じ内容になるだろうか。
 この一連の報道の発端は、朝日新聞が口火を切っている。それに他社が追随した経緯が、週刊文春の5月30日号に書いてある。朝日新聞が、橋下徹と因縁があったことは周知のことだろう。今回の一連の騒ぎが日本の国益を損なったことは間違いないだろうが、わたしにはそれはマスゴミのメダカの群れみたいな画一的な報道姿勢にその大部分があると思える。
 もちろん、この程度の失言騒ぎのケツをふけなかった橋下徹の政治家としての力量もまだまだ青いなということではある。
 綿井健陽が新聞に投稿していた文章も読んだが、橋下発言に対する検証はスルーして、持論を展開しているだけに思えた。ついでに、川田文子の「米軍司令官の人権意識」云々の発言に対しては、グアンタナモの収容所がいまだに閉鎖されていない現実を考えれば笑止というしかない。
 (さらについでに書いておくと、池田信夫という人の意見は、今回も、原発のときもそうだが、ちょっと瑣事に渡りすぎると思う。論理的ではあるけれど、ケビン・メアの言っていることのほうが説得力がある。これは、どちらが正しいという判断ではないけれど、ただ、現場の感覚とか現地の感覚といったものについては、池田信夫という人はおそろしく音痴だという確信を、今回のことで強くした。ひらたく言えば人間味に欠ける。もしかしたら、橋下徹慰安婦発言には、池田信夫の影響があったかもしれない。)
 ちなみに、今週の週刊SPA!の福田和也苅部直の対談によると、従軍慰安婦の一部の方たちは、当時、軍属の扱いを受けていた場合があり、靖国神社に祀られている方もいるそうです。つまり、靖国神社に参拝されている方たちは、従軍慰安婦の方たちにも玉串(っていうの?)を献げていたことになるようです。