萱野稔人と慰安婦問題

knockeye2013-06-19

 上田秀明という日本の人道人権担当大使が、スイス・ジュネーブの国連拷問禁止委員会で、日本の人権状況に対する批判に対して「日本は人権先進国」と反論したところ、会場から笑いが起きたそうで、そのとき「シャラップ!」と会場を怒鳴りつけた様子が、‘傲慢’だとネットで話題になっているそうだ。
 ニューズウィークでこの記事を読んで、わたしも確かに笑った。何が可笑しいかというと「人権先進国」という言葉がなんか笑える。「人権先進国」というようなものがもしあるとしても、現に人権が侵害されている事実があれば、是正されなければならない。「人権先進国」だから、このくらい許してよ、といっているように聞こえるのは、「人権先進国」という発想が、そもそも人権に対して、国家を優先する価値観をそのまま示しているからだ。
 だから確かに笑えるし、現に笑ったが、しかし、ふと考えたのは、一年後、もしこれを思い出したとき、はたして笑えるだろうかということだった。
 先日の記事に‘「みんなやってるのに何で俺だけ」みたいなのは最悪’と書いた。弁明としてはこれが最悪なのはたしかだろう。幼稚でまったく説得力がない。池上彰も「スピード違反で捕まったドライバーが『他の運転手もやっているのに』と抗弁しても、警察は見逃してくれないでしょう」と書いていた。
 だが、ここで立ち止まってもう一度考えてみなければならないことは、ドライバーAとドライバーBがおなじようにスピード違反をしているのに、ドライバーAだけが捕まるということに、抗議の声を上げることは、はたして理不尽なことなのかということだ。
 繰り返しになるが、2013年の現在、グアンタナモの収容所は法的な根拠もなく多くのイスラム教徒を監禁している。であるにもかかわらず、アメリカ議会は、日本の第二次大戦中の慰安婦問題に対して非難決議を採択した。しかも、沖縄では、在日米兵によるレイプ事件が後を絶たないのである。
 このような状況を見ながら、ジュネーブの会議にいるエリートたちと同じように、笑っていていいものかという疑問がこころをよぎる。朝日新聞の記者たちなら、もちろん、おもしろおかしく記事にすることだろうが、思慮深い人は、このことに関してもうすこし真剣に考えてよいのではないか。
 18日の日本維新の会国会議員団役員会で、石原慎太郎橋下徹に対して、支持が低迷しているのは橋下徹の責任だと苦言を呈したそうだが、現時点では、石原慎太郎のいうことの方が正しく聞こえるのかもしれないが、わたしにはむしろ、これが石原慎太郎の限界に見える。むしろ、橋下徹の方が政治家として大きいという確信を強くする(支持はしないけど)。
 橋下徹は、あくまで発言を撤回しないそうだが、それはわたしも間違っていないと思う。
 17日の新聞で、萱野稔人が、上にわたしが書いたようなことをさして、‘橋下徹の発言を支持する人が少なくないのは、一貫して「日本だけが非難されるのはフェアではない」と主張しているからだ’としながら、‘愛国心の使い方をまちがってはならない’と警告している。しかしながら、愛国者呼ばわりされるのは心外で、フェアでないことをフェアでないというのは別に愛国とは関係ない。
 萱野稔人の文章を読んでいると、結局、今回の橋下発言が‘国益を損ねた’と言うに尽きる。それこそ愛国的な発想に涙する人も多かろうが、今回の騒ぎが国益を損ねるかどうかは、政治家と論客の腕次第だろう。前にも書いたけれど、わたしが橋下徹に失望したのは、慰安婦発言それ自体ではなく、国際記者会見でケツをまくってアメリカに喧嘩を売れなかったことである。
 そして、今回の騒動が国益に反するというならば、その主たる原因は、片言隻句をとらえておもしろおかしく報道した朝日新聞にあると思う。「慰安婦は必要」は、誰が聞いたって、論旨がそこにないのは明らかだ。その後、橋下徹自身が‘誤報だ’と否定しているにもかかわらず、その弁明を聞いて、真意を質す姿勢があっただろうか。政治家の失言をとらえて言いふらすのは朝日新聞の使命だろうが、今回のことではそれがどれほど国益を損ねたか肝に銘じてもらいたい。‘ハシシタ奴の本性’などという記事を文字にして恥じない朝日新聞社としては、さぞかし人権意識に燃えて記事にしたことだろうけれど。