宮崎哲弥、橋下徹、柳田国男

knockeye2013-07-04

先祖の話 (角川ソフィア文庫)

先祖の話 (角川ソフィア文庫)

 今週の週刊文春、120〜121ページが面白い。
 見開きで、右側が坪内祐三の「文庫本を狙え!」、左側が宮崎哲弥の「時々砲弾」(これ今気が付いたけど、‘時事放談’のシャレなのね)。
 坪内祐三が紹介しているのは、角川ソフィア文庫柳田国男の『先祖の話』。昭和20年の4月から5月に書き上げたもので、「もちろん始めから戦後の読者を予期し、平和になってからの利用を心掛けていたのではあるが、まさかこれほどまでに社会の実情が、改まってしまおうとは思わなかった」と、自序にあるそうだ。
 柳田国男というひとは、ほんとうの意味で、この国の「選良」というべきひとなので、そうした意識で発言していると思う。こういう高い識見をもちながら、市井の人々に目が向いている官僚は、今も昔もなかなか得難いものだろうと思う。
 宮崎哲弥は「戦争をめぐる歴史観をめぐる戦争 その3」なんだけど、これは、例の橋下徹慰安婦発言についての省察を、このところ3週連続して書いているものだ。
 この回は、2007年の久間章生防衛大臣(当時)の「しょうがない発言」を取り上げている。
 「アメリカは、日本が遠からず降伏に追い込まれることを知りながら、ソビエト連邦の参戦を抑止し、戦後におけるソ連の勢力伸長を阻む目的で原爆を投下した」
 「原爆が落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだ、という頭の整理で今、しょうがないな、という風に思っている」
 「米国を恨むつもりはないが、勝ち戦ということが分かっていながら、原爆まで使う必要があったのか、という思いは今でもしている」
 当時のマスコミは、この発言のなかから「しょうがない」という部分だけを取り上げて、例のごとくバッシング。朝日新聞の社説は「過去の核使用を『しょうがない』と容認するのは、必要があれば核を使ってもよいということになる」と書いたそうだ。
 当時も参院選目前、この報道が、今回の橋下発言をめぐる報道と「酷似している」と気づいた宮崎哲弥はやっぱりすごいと思う。久間章生は、この発言で辞任に追い込まれた。
 今では一般に‘マスゴミ’と呼ばれている日本のマスコミは、結局、こんなことをくり返しているだけなのではないか。
 宮崎哲弥は、

 久間発言も橋下発言も全面的に首肯できるものでは到底ない。だが、その発言の背景を成す、より大きな問題が等閑にされ、失言の部分ばかりが焦点化さているのはどうも不健全だ。

と書いている。