スメル・ハラスメント

knockeye2013-07-16

 略して‘スメハラ’、‘スメル・ハラスメント’なる言葉が世間にはあるらしい。
 それで思い出した、こないだ職場にきていたおじさんの口臭には、たしかにまいった。
 ただ、人間だれでも、長時間、飲まず、喰わず、黙々と仕事をしていれば、息がくさくなるのは仕方ないし、それに、だれも自分の匂いはわからないので、自分だって臭いのかもしれないし。
 もちろん、そのときは、そぶりも見せず(一瞬、眉根くらい寄せたかもしれないが)、話を聞いていました。
 昔は、そういうとき、‘くさいと思う方’が、失礼だったはずなのに、今は、‘くさい’方がマナー違反だっていうのは、マナーなんて時代が変わると、真逆になっちゃうんだという驚きはある。
 わたしがこどものころによく聞かされたマナーの心得は、どこかの国の王侯貴族の晩餐会で、テーブルマナーに疎い客人が、フィンガーボウルの水を飲んじゃったとき、ホストの貴族が迷わず同じようにその水を飲んだとか、そんな話。わたしは、それはいい話だなと思っているので、スメル・ハラスメントなんてちょっとどうかなと思ってしまう。社会がクローズになってきているあらわれに思える。
 匂いは、食習慣や生活環境で違ってくるはずだから、だれかを臭いと批判するのは、結局、自分とは異質な生活環境を否定することになると思う。
 市中はものの匂いや夏の月
 これは、凡兆の句だけれど、夏の市に漂う雑多な匂いを、こんな風に俳句に詠める江戸の俳人たちにくらべると、今の時代のわたしたちは、心理的にも物理的にも、人との距離の取り方が、どうにもブサイクなんじゃないかと思う。