凱風快晴、大妖怪展

knockeye2013-08-11

 冷夏かと思われていた夏が反転攻勢に出たのはいつごろだったか、ともあれ、ところによっては、摂氏40度を超すという猛暑、酷暑とあっては、‘夏の美術館めぐりは過酷’なんて前言はあっさりひるがえし、美術館にも涼を求める気分になる。
 前回はネイビーのサマージャケットにフルレングスのホワイトジーンズだった三菱一号館に、今回は、夏風邪のひとつもひければ本望と、ヘンリーネックの胸元をはだけ、リネンのシャツもはおるだけ、ボトムはグルカショーツという、なんとも武装解除の格好で出かけた。
 斎藤コレクションの展示替え、第二期目はツーリズムの発展というくくりで、広重の東海道五十三次北斎の諸国瀧めぐり、富嶽三十六景など風景画中心の展示。
 富士山はゴミだらけなのがネックになって世界自然遺産に落選したのを、世界文化遺産として改めて申請するというしつこさが、気味悪がられたのか面倒くさがられたのか知らないが、なんか登録されたと小耳に挟むや、人が群がる律儀さはあいかわらずでうんざりだが、富士山が文化遺産と認められるについては、北斎富嶽三十六景もいささかの貢献をしていることは疑いないだろう。村上隆も、神奈川沖浪裏は、世界の美術史に影響をあたえた作品だと書いていた。
 今さら、富嶽三十六景や東海道五十三次について何かいうことがあるはずもないので、ちょっとした妄想というか提案というか、そういうことをつぶやくのだけれど、富嶽三十六景で北斎がはじめに構想した36図の35図を、紅嫌い、というより、ベロ藍一色で刷って、ただひとつ、凱風快晴だけに赤を使ったらどうなるだろうか。わたしにはあの富嶽三十六景という連作のコンセプトが実はそうであったように思えるときがある。
 三井記念美術館、横浜そごう美術館、横須賀美術館の三館が合同で、妖怪をテーマにした展覧会を共同開催している。横須賀はちょっと遠すぎるが、あとのふたつは帰りの道すがらと渋谷からまわったおかげで、その日の落雷のため停電でダイヤが乱れた小田急線を迂回することになった。
  妖怪といってもキュレーターやコレクターの解釈の違いで印象がずいぶん違ってくるには、改めて驚いた。
 三井記念美術館の方は、国芳北斎は、近年そうとう観たし、能面や道成寺の絵巻物などまでは事前に予測していたと言えないこともなかった。目新しいものは、「付喪神絵詞(つくもがみえことば)」や鳥山石燕だった。つくも神は、鍋釜、盥、うす、しゃもじなど、さまざまな日常雑貨にものがついて神になったものだが、ここに「パシフィック・リム」に出てくる“KAIJU”の源流を見ることもできる。
 しかし、横浜そごう美術館の方の、吉川観方という研究家のコレクションは、「何じゃ?これ!」っていう。思わずふいちゃったのは、祇園井特の幽霊画がふたつもある。祇園井特っていう人は、本居宣長が「この人の絵には嘘がない」みたいなことを言って、ただ一人自身の肖像画を描くことを許した絵描きなんだけど、まずそういう人が幽霊を描くことがすでに「出オチ」で、絵そのものも、怖いよりはおかしい。この人の場合、生きている芸妓の絵の方がはるかに怖い。これは、祇園井特の絵を観たことがある人には同意を得やすいことだろうと思う。

これは、渓斎英泉、

これは、河鍋暁斎
 これが怖いかどうかなのだけれど、美術館では、もちろん怖くないけれど、当時の人たちは、3DもCGも未経験なのだし、演出しだいでは怖かったかも。
 時代が移ろうとはこういうことだ。こういう絵を見て、怖がったり、蒼ざめたり、ひとりで寝られなかったり・・・が、反応として望ましいという常識が、人のこころを支配していられる時間は、案外短かい。だって、怖くないもん。
 それで思い出すのは、以前、大田記念美術館で観た、月岡芳年の「うぶめ」。あれは、美術館で観てさえ怖いと言えるが、しかし、そんなことよりも美しいのだ。美しいということは、怖い、悲しい、憤ろしい、といった一次的な感情より永続生のあるものだと、言葉では言い古されたことでも、実地にこうして体感してみると、改めて考え込んでしまう。絵に描かれた悲しみや怒りの感情も取るに足らないことではないはずだけれど。