『恋する原発』

knockeye2013-10-02

恋する原発

恋する原発

 『恋する原発』を,いまごろ、読んだ。
 でも、文学なんだなっていう、あたりまえか。マスはかけませんわ(それで思い出したけど、映画「共喰い」で,主人公が寝っ転がって、吉行淳之介の『暗室』を読んでた。あれはいい小説だったな。でも、マスはかけません)。
 原発事故被災者のためのチャリティーAVって、女捜査官とか、エステシャンとかは出て来ないのね。体育館に、自分が出演したAVを持って避難している、被災者の熟女AV女優さんが面白かった。
 熟女AVは、無理だ、と思いながら、怖いもの見たさでトライするけど、無理。岩崎千鶴がタチ役をやってるレズビデオなら何とかなるけど、それは、もう男優として見てるわけで。女には見えないわ。あれだと、きれいなシーメールの方がまだましかも(愛間みるくとか)。AVは視覚と聴覚だけしか情報がないので、臭覚、触覚、つまり、おっさん臭くて、骨太、とかわかんないから。愛間みるくを岩崎千鶴が犯す、ならなんとかなるのかな。
 でも、岩崎千鶴、売れてるんだから、あれでいける人がけっこういるわけでしょ。わかんないわぁ。
 ただ、ほんと、AVを語るくらいのホンネのホンネで、脱原発を語っていくべきだと思う。
 このところ、ちょくちょく書いてるけど、明治維新って、徳川幕府を薩摩長州などの西国雄藩が打ち倒して、主に効率の問題で、封建主義から中央集権的な帝国主義へと変化したにすぎなくて、そのときのタテマエが天皇主権だったわけでしょ。明治維新から、敗戦までの間、天皇が主権者だったなんて絵空事でしょ。
 で、表向きは,明治憲法とか,議会制とかつくって、近代国家の体面をつくろっていたわけだけれど、実際の政治は、維新の下級武士たちが、身内とお友達で回してたわけですよね。その身内とお友達の、身内とお友達が,今の官僚の先輩の先輩ぐらいの人たちで、その人たちが、維新の志士たち、山県有朋とか、が死に絶えた後に、暴走に暴走を重ねた結果、国を亡ぼしたわけですよね。
 ところが滑稽なのは、タテマエの主権者にすぎない天皇の戦争責任はいろいろと議論されても、実際に政治を動かしていた官僚は、戦後も無傷で、また身内と友だちで、政治を回しているわけですよね。その‘なあなあ’の腐敗が顕在化した現象が、今の財政破綻原発事故でしょう。
 だから、脱原発脱官僚なんだし、脱官僚は、明治以来、日本が抱えてきた構造的な矛盾を解決していくためには、これを越えていかなければならない、日本固有の宿命的な課題なんですよね。
 いまだに、原発推進とか、原発という選択肢を放棄しないとかいっている人は、歴史的な座標を全く見失っていると思います。