『鞄の中身』、『恋しくて』

knockeye2013-11-30

鞄の中身 (講談社文芸文庫)

鞄の中身 (講談社文芸文庫)

 金曜日に東京モーターショーに行ったが、平日ということで油断して昼からでかけたのが甘かったのか、すごい人で、私としては過去に経験したことのないほどの盛況ぶりだった。ただ、バイクの展示は少なくてさびしかった。
 風邪気味でもあったので、早々に退散した。ていうより、早々に退散するくらいには風邪気味だったというのが正しいか。
 ひとつだけ強く感じたことは、燃料電池車とか、EVとか、PHVとか、自動運転とか、ほとんど革新的な技術が現実的になっているときには、行政の側の協力が欠かせないということ。
 たとえば、日産のリーフとか三菱のミーヴとかのEVを本格的に普及させようと思えば、充電設備の普及が欠かせない。すくなくとも、行政から負の圧力がかからないという確信がなければ、企業としてはその先に進めないのがホンネだろう。
 点としての技術はすでに先行しているのに、現実的な普及の面で、なんとなく煮え切らないこの感じは、iPod登場前夜を思い出させる。
 土曜日は、でかけずに本を読んでいた。
 吉行淳之介の短編集『鞄の中身』と村上春樹の翻訳短編集『恋しくて』を読み終えた。
 吉行淳之介を読んでいると、ネットの文章なんて文章の内に入らないと、改めてそう思った。
 「錆びた海」は絵についての小説だが、言葉が絵にはできないやり方でイメージを伝えることをさらりと証明しているところにすごみを感じる。
 「曲がった背中」や「廃墟の眺め」は、戦争と女性についての、この1年の子供じみた喧噪が全くくだらなく思える。
 「曲がった背中」の一部を抜き出してみる気になった。

 ある夜、私はすでに酩酊して、その店の前にきた。入口には扉がないので、店の中は見透しである。そして、入口に立止っている私のすぐ眼の前に、大きな背中のひろがりがあった。あの陰気な男の背中である。前かがみになって凝っと動かず、生気を失って萎れているのが頑丈な広い背中なので、一層目立っている。
 私は無遠慮に、男の背中を撫でおろし、
ヘミングウェイの殺人者の背中のようだ」
と言いながら、彼の隣の椅子に腰をおろした。酔ったまぎれの出まかせの言葉だが、彼がどういう男か探るキッカケをつけようとおもう好奇心のあらわれでもあった。もっとも、これまで誰が話しかけても、ろくに返事をするのをみたことがなかったので、彼が反応してくるのを期待していたわけではない。要するに、私は酔っていたのだ。

 この文芸文庫版の『鞄の中身』は、単行本の『鞄の中身』と『出口・廃墟の眺め』から新に編まれたものだそうだ。

恋しくて - TEN SELECTED LOVE STORIES

恋しくて - TEN SELECTED LOVE STORIES

 この村上春樹の選んだ10編の短編に吉行淳之介を超えるものがあるかというと、ちょっとないと思うけど、個人的にはリチャード・フォードの「モントリオールの恋人」が好きだ。
 村上春樹の「恋するザムザ」も面白いけど、オチっていうか。シャレっていうか。