川瀬巴水

knockeye2014-01-14

 平賀源内と鈴木春信が錦絵を考案して以来、日本の浮世絵は、江戸っ子たちに愛好され、降っては、西欧の愛好家までも虜にした、一大マスメディアだったわけだけれど、明治維新以降、これが次第に衰微したのは、版元、絵師、彫り師、刷り師と、高度に分業化されたそのシステムを維持するに必要な、マーケットの規模を維持できなかったんだろうという説には、これといった根拠がないとしても、かまえて異を唱えようとも思わない頑丈な説得力がある。
 だって、歌舞伎や落語は生き残っているわけだから。どちらも舞台に男しかいない、むさ苦しい芸であるにもかかわらず。歌舞伎の場合は、金を使いたくてうずうずしている、新興の成金を引き寄せるだけの何かがあったのだろうし、落語の場合は、座布団と着物が一枚ずつあればそれでなんとかかっこがつくのだし。
 浮世絵の場合も、絵師がいなくなったわけではない。歌川国芳の弟子の月岡芳年は、最後の浮世絵師と呼ばれた人気画家だったし、その孫弟子の鏑木清方は、京都の上村松園と人気を二分した美人画家だったし、その弟子の伊東深水は、横山大観に「今、これほど墨を使える人はいない」といわれた名人だった(ちなみにその娘の朝丘雪路津川雅彦と別居中)。立ちゆかなくなったのは、版元、彫り師、刷り師なのである。
 渡邊庄三郎という人が版元となって始めた新版画という運動は、そういうわけで、江戸の浮世絵を支えた彫り師、刷り師の技術を途絶えさせたくないという思いが強かったろうと思うが、それは一方では、版元、絵師、彫り師、刷り師の共同作業に、現代の画家たちを引き戻そうとする運動でもあるわけだから、そう易々とはいかなかったのではないかと想像する。
 たとえば、今回展示されている(って、書き忘れてたけれど千葉市美術館で開催されている川瀬巴水展の話)版画の多くに、わざわざバレンの跡を残す‘ごま刷り’という手法を用いているなどは、「やめてくんないかな」と思った画家もいたかもしれない。
 ただ、この渡邊庄三郎という人はなかなか山っ気があって、新版画を始める以前から、海外に販路を求めていた。江戸でマーケットが消滅したなら、浮世絵が受けている海外にそれを求めればいいというわけ。なかなかおもしろいけれど、いまでもときどき鈴木春信の春画なんかで、かってに版を彫り直した改作版みたいなのが出回っているが、もしかしたら出どころはここかしらむという疑いがあたまをもたげる。
 川瀬巴水が日本よりアメリカで人気がある、というあたりの事情も、こういうあたりにあるらしい。
 渡邊庄三郎と川瀬巴水のコンビがうまくはまったのは、鏑木清方への弟子入りが29歳という、当時としてはあまりにも遅い画業の出発があったかもしれない(なんか家業が破産したらしい)。どこか素人を感じさせる。
 川瀬巴水が新版画を始めたのは、兄弟子、伊東深水の新版画にいたく感銘を受けたからだそうだ。その深水の版画も展示されていたが、絵としての斬新さ、大胆さ、技の見せ所、とか、伊東深水のものの方が遙かに優れているように思える。
 伊東深水は、川瀬巴水の一連の作品を、「広重の焼き直しにすぎない」と評していたと聞いたことがある。
 実際、ずらりと並んだ川瀬巴水の風景を見ていくと、雪、雨、夜、雪、雨、夜、のくりかえしで、ちょっと可笑しくなってくるくらいだが、ところが、これを見ていてしみじみしてしまうのは、失われた風景へのノスタルジーというだけではなくて、やっぱり臭みがないからだろう。
 「へたうま」というにはへたでなさすぎるのだが、川瀬巴水なら、渡邊庄三郎がかってにごま刷りでグラデーションをつけても気にもとめなかっただろうという気がする。
 それともうひとつは、旅の画家というジャンルを発明したのが大きい。旅から旅に明け暮れたようで、「旅みやげ」というシリーズを多くものしている。歌川広重東海道五十三次はどこまで自分で取材したのかあやしいそうだが、すくなくとも川瀬巴水は、江戸の絵師たちが手にしなかった旅の自由さを手に入れていた。ときどき風景に自分の姿を描き入れている。今でいう、イラストとかエッセー漫画の走りかもしれない。
 画業の始まりから終わりまで、これといった変化も進歩もない感じの絵なんだけれど、ここになにか懐かしさを感じることに、わたしたちの生活の真実があるかもしれない。





 ところで、記事には書かなかったけれど、去年、礫川浮世絵美術館というところに、土屋光逸と川瀬巴水の展覧会を見に出かけた。そこの館長さん、松井英男さんが昨年末に亡くなられたそう。
 土屋光逸になると、川瀬巴水よりさらに世界が小さくなるという感じがした。
 さっきもちらっと書いたが、この川瀬巴水展と同時に、所蔵品展として、「渡邊版 − 新版画の精華」も開催されている。橋口五葉、伊東深水、山村耕花、名取春仙などのほか、フリッツ・カペラリ、チャールズ・バートレット、エリザベス・キースなど、海外の画家の新版画も見られて興味深い。両方とも1月19日までですけどね。
 それから、今週展示替えで後期展になった下村観山展にも出かけた。横浜美術館
 「魔障」という絵があったんだけれど、この元ネタは「聖アントニウスの誘惑」だろうと思った。下村観山という人はどこか狂気を感じさせる。