韓国とベトナム元慰安婦

knockeye2014-03-03

 「河野談話の再検証」は、言い換えれば「朝日の捏造記事の検証」であると書いた。
 すでにウソであることが明らかにされている、元軍人の証言「済州島で、200人の女性を奴隷狩りしてトラックで運んだ」を、裏付けもとらず、「熱心に報じた(朝日新聞の元主筆若宮啓文のことばでいえば)」記事が、つまり、「従軍慰安婦問題」の発端であり、すべてなのだ。
 新聞がつぎつぎにくりだしてくる造語には、注意を喚起したい。そもそも「従軍慰安婦」が造語なんだが、ここで問題にしたいのは、「狭義の(あるいは広義の)強制性」ということば。「従軍慰安婦問題」が語られる場所以外で、こんなことば聞いたことがありますか?。
 その「狭義の強制性」とは何なのでしょう?。それはつまり、上に上げた元軍人の証言をさしていて、それ以外ではない。つまり、「狭義の強制性はなかった」と言うとき、その内容は「元軍人の証言はウソでした」と同義だと気づかなければならない。若宮啓文の言葉を借りれば「勇み足」だったわけ。
 しかし、なぜ「ウソでした」といわず、「狭義の強制性はなかった」と、耳慣れない言葉を使うのかといえば、「ウソでした」といえば、責任をとらなければならないからだ。
 「狭義の強制性はなかった」と言い換えれば、「でも、広義の強制性はあった」と言える。しかし、その「広義の強制性はあった」の内容は何かといえば、だまして連れてこられた慰安婦はいた、ということなのだが、すぐにわかるとおり、この時点ですでに、最初の報道と内容がすり変えられている。
 「狭義の強制性はなかったが、広義の強制性はあった」を、抽象的な言葉を使わず、具体的な内容として語れば、「元軍人の証言‘済州島で、200人の女性を奴隷狩りしてトラックで運んだ’はウソでした、でも、だまして連れてこられた慰安婦はいました」ということである。
 だが、そもそも朝日新聞が‘熱心に報じた’「従軍慰安婦問題」とは何だったかといえば、‘奴隷狩り’であり、それが世界中で受け止められている「従軍慰安婦問題」であり、そうした事態を招いたのは、まぎれもなく朝日新聞である。
 「狭義の強制性はなかったが、広義の強制性はあった」だから、「従軍慰安婦問題はあった」は詭弁だ。なぜなら、「狭義の強制性」こそが、‘そもそもの’「従軍慰安婦問題」だからだ。この時点で、朝日新聞がとるべきだった態度は、「一時期熱心に報じた‘奴隷狩り’めいた記事は誤報でした、申し訳ありませんでした」と謝罪して責任をとることだった。しかし、そうはしなかった。その時点で、誤報は捏造になったと言わざるえない。
 こうして、順を追って見てくればわかるとおり、「狭義の強制性、広義の強制性」は、虚偽報道の責任を回避する詭弁にすぎない。これも前に書いたとおり、朝日新聞慰安婦問題を弄んだのだ。
 そして、河野談話を再検証すれば、この朝日新聞の捏造にいきつかざるえないだろうことは、それが事の発端であるかぎり、避けられないだろう。
 以上のことが、河野談話の再検証は、朝日新聞の捏造の検証だと書いた意味だった。
 ところが、というか、ところで、というか、8日の未明、朝日新聞デジタルに、
「韓国人の元日本軍慰安婦と支援団体代表らが7日、ソウルで記者会見し、ベトナム戦争に参戦した韓国軍による、ベトナム人女性に対する性暴力や民間人虐殺、について、韓国政府が真相を究明し、公式謝罪と法的責任をとるように、と訴えた。」
という記事が載った。
 「私たちが望むのは慰安婦の悲劇が繰り返されないことだ」と語ったそうなのだが、繰り返したのは韓国であって、日本は繰り返してないと思うがどうだろうか。
 しかも、日本は、河野談話を発表して、アジア女性基金を作って謝罪もしているのだが、それを拒否されたからこそ、その再検証をせざるえないのだし、どうしてこの段階で、「対日プロパガンダじゃないです」アピールなのかしら。
 この人たちは、毎週水曜日に、ソウルの日本大使館前で「日本政府の公式謝罪と賠償」を訴え続けているそうだが、じゃあ、これからは、ベトナム慰安婦少女の像を韓国大統領府の前に造って、毎週金曜日にでも、その前で座り込まなければならないし、アメリカにもベトナム慰安婦像を設置しなければならない。忙しくなりそうですね。
 私にいわせれば、この人たちもまた、慰安婦問題を弄んだ。本来、人権問題であるべきことを、プロパガンダに利用しようとする国家主義者の態度は、それが、日本人であろうと韓国人であろうと、私は好きになれない。