『永遠の0』百田尚樹“暴言”の読み方

knockeye2014-03-06

 今月号の文藝春秋に、保阪正康の「『永遠の0』百田尚樹“暴言”の読み方」という寄稿がある。
 東京都知事選で、百田尚樹田母神俊雄の応援演説にたって、「南京大虐殺はなかった」とか、東京裁判は、東京大空襲や原爆投下を「ごまかすための裁判だった」などといった持論を展開したことについて、保阪正康はこう書いている。

 今回、私は百田氏の一連の発言を読んでみましたが、そこで語られる内容には、何ら驚きはありませんでした。これはなにも今突然語られ始めたものではないからです。

 昭和史を研究してきた保阪正康にとって、今回の百田尚樹のような意見は、「脈々と語られてきたもの」にすぎないが、それはあくまでも「とんでも」史観であって、正史としてまともに扱われることはなかった。それが、すくなくとも、オモテに出て日の目を浴びるようになったその変化は、むしろ、「右傾化」ではなく、「戦後民主主義の後退」だろうと指摘している。
 つまり、百田尚樹がいっていることが「まゆつば」であるとしても、「戦後民主主義」も同程度に「まゆつば」だと、受け取られ始めているわけだろう。

戦後日本の平和を支えたものが「平和憲法」ではなく、「日米安保」すなわちアメリカの軍事力だったことは、明らかですが、戦後民主主義はそれを認めませんでした。

 国際政治学者の猪木正直のいう「空想的平和主義」の「欺瞞がもはや説得力をもたなくなっている。」その意味で、現在の風潮を「右傾化」と批判するのは、「戦後民主主義」側によるレッテル貼りにすぎないだろうと、保阪正康は指摘している。

結局、彼らは制度疲労を起こしている空想的平和主義に頼り、新しい規範を生み出す想像力を持ち得ないでいるのです。

 私はこの意見に同意する。百田尚樹田母神俊雄が正しいといっているわけではない。ただ、相対的にアメリカの影響力が後退した今にいたって、「空想的平和主義」を喧伝する以外に視点を持てないメディアの言論には、敗色濃厚な太平洋戦争末期に、大本営発表を垂れ流し続けてきたころに先祖返りしたかのような、非現実的なお題目のにおいをかがざるえない。
 その上で、「戦後レジームからの脱却」を唱えながら、靖国参拝などという19世紀的な迷妄に立ち返る安倍首相の態度は、単に「現状の国際秩序への挑戦」にしかならないと、保阪正康は指摘している。
 興味深いのは、小泉純一郎靖国参拝は、A級戦犯戦争犯罪者と認めた上で参拝していたという指摘と、日本遺族会の前会長・古賀誠と、保阪正康靖国参拝について話したとき、古賀は「私も二心ある」と語っていたという指摘だ。
 「二心」とは、信仰にとっては物騒な言葉だが、すくなくとも戦争がリアルな体験である世代は、靖国にたいして、矛盾を抱え続けているということなのだ。
 昨日、明治の元勲たちは、自分たちの権力を用いるに際して、天皇の権威を軽んじただろうと書いたが、明治維新をなしとげるまでは、日本のドメスティックな歴史観で、王政復古を標榜していたとしても、現実に国際社会の一員として、立っていかなければならないときに、天皇ひとりの意向で、現実の政治がどうこうできるはずもないことはいうまでもないことで、天皇にどんな実権もなかったには違いなかったが、そうはいっても、つい昨日まで、現に腰に刀を帯びていた武士であった明治の元勲は、心情的には、天皇の権威を軽んじているつもりはなかっただろう。
 そうした矛盾の振り幅の大きさが、あるいは明治の魅力であるのかもしれない。ただ、そうした矛盾は、世代を超えて持ちこたえられることはないようで、昭和の軍部となると、結局のところ、今でいう、原子力ムラの利権争いと大して変わらない、こころざしの低さとか、こころねの卑しさみたいなものしか、彼らには感じない。二・二六事件などは、心情的にも天皇の権威を軽んじていなければ、起こらない事件だと思う。
 「戦後民主主義」「空想的平和主義」を担ってきたのは、朝日新聞だろうが、ところが、終戦のその日まで、「軍国主義」をになってきたのも、おなじ朝日新聞なのである。こんなぐあいに、一夜にして宗旨替えができる、この二項対立には空虚なものしか感じない。想田和弘が『日本人は民主主義を捨てたがっているのか』という本を出したが、「戦後民主主義」という意味なら、それはそのとおりなんだろう。
 安倍首相のいう「戦後レジームからの脱却」は、その意味ではたしかに正しいのだが、戦前に逆戻りではどうしようもないので、もっと国民的な議論を起こし、「社会の構成員すべてが納得できる価値観を探り出す」ことが必要だろうと思う。右翼だ、左翼だ、の空論には参加する気にならない。
 余談だが、坂本龍一鈴木邦男が『愛国者の憂鬱』という対談集を出した。ちょっと「え」という取り合わせだが、首相官邸前の反原発デモのときに偶然出会ったそうなのだ。早速注文した。

文藝春秋 2014年 04月号 [雑誌]

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愛国者の憂鬱

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