「偉大なる、しゅららぼん」

knockeye2014-03-08

 きのう、「戦後民主主義慰安婦問題」って、遠大なタイトルで書き始めたわりに、中身はかすってもないな。ほんとは、「戦後民主主義」と「従軍慰安婦問題」は、作用反作用、薬効と副作用、切り離すことのできない鏡像のようなものだと書きたかったのだけれど、また、機会があったら、考えてみる。
 週末は「偉大なる、しゅららぼん」を観た。原作者、万城目学週刊文春に連載していた「とっぴんぱらりの風太郎」は、毎週心待ちにして読んだ。あれは、中川学の挿絵もよかった。なんか電子書籍では、あの挿絵も込みで出版されるそうで、そういう、紙の書籍にはないちょっとした新しい楽しさを知るにつけ、電子書籍もまだ始まったばっかりなんだなという思いを強くする。 
 そういうわけで、「偉大なる、しゅららぼん」も楽しみに出かけたわけだが、映画と関係のない話を、まだまだしなければならない、というのは、私の席のひとつ空いたとなりに座っていた女の子がけっこうタイプだった。それで、何となくそっちに気が行っていたのだけれど、映画館が暗くなる寸前に、私とその女の子のあいだの席に、デブが来てすわった。正確に言うと、デブの気配。まじまじと見たわけではないが、なんかこう、前後左右にはみ出している感じ。
 でも、デブなのはかまいません。しかし、ひとつあけた席にかわいい子がいるという状況と、はみ出した肉が肩に触れてくる状況では、かなり気分が違うのも事実だった。
 でも、かまいません。そんなことで文句は言いません。ただ、今回、厄払いという意味でもどうしても書きたいのは、このデブ、映画が始まって10分くらいで、すかしっ屁をしたのである。すっげー臭いの。
 でも、しょうがないです。生理現象だから、と思って我慢していたが、においがまだ消えきらないうちに、また、したの。それで、映画が終わるまで断続的に、ずーっとしてたの。
 映画館中、臭かったかどうかはしらないけれど、半径5メートルくらいは確実に臭ってたと思う。前の席の女の子なんか、とちゅうで映画観るのをあきらめて、スマホをいじり始めた。マナー違反なんだけど、正直言って、この場合はしょうがないと思った。
 伊集院光が、屁が臭すぎて殴られたことがあるってラジオで言ってたけど、その気持ちがわかった。映画が終わったあと、文字通り「這々のていで」退散した。染み付いちゃうかと思った。
 においの記憶って原始的だから強烈だね。こうやって書いていると、いまでも、思い出して気持ち悪い。
 こういう過酷な条件下で観た「偉大なる、しゅららぼん」だったわけだが、濱田岳貫地谷しほり、とか、好きだし、楽しめたけれど、「とっぴんぱらりの風太郎」を読んだ経験から推すと、たぶん、小説で読んだ方がスケールが大きく感じられるのではないか。
 ‘これ映画にしたら面白いぞぅ’ていう小説を映画にしたら、面白いというもんでもないのだろうが、映画の公式サイトに
「春の湖に よくぞ撮ったと しゅららぼん」
と、万城目学が一句詠んでいるが、原作者に「よく撮った」と言われるレベルかと。
 「共喰い」とか「小さいおうち」は、映画が原作をじゅうぶん咀嚼して消化している感じだが、「のぼうの城」とか、これは、「よく撮った」というところかも。
 ただ、今回、けしてよい条件で観ていないので、いくらか辛くなっているかも。
 余計なお世話ながら、「とっぴんぱらりの風太郎」の映画化は難しいだろうと思った。スケールがでかすぎるし、イメージが奔放すぎる。いくらCGを多用して再現できたとしても、予算の面で割に合わないだろうと思う。