いのちの女たちへ

knockeye2014-03-11

 慰安婦問題とは結局何だったのかと考えると、3つの異なる側面を持っている。
 ひとつは、純然たる人権問題。だが、もしそれだけなら、河野談話で決着がついているはずだ。
 安倍首相の「河野談話を継承する」という発言を朴大統領が歓迎したわけだが、しかし、韓国は、河野談話を継承している状況下でも、よりいっそうの謝罪を求めてきたのではなかったろうか。河野談話以上の謝罪をしようとすれば、河野談話を再検証するしかない。つまり、河野談話の再検証は、韓国も求めていたことであるはずなのに、いざそれをしようとすると、河野談話を継承しろという。「河野談話は受け入れられない」が、「河野談話は継承しろ」という韓国の要求は、日本がどのように努力しても実現不可能である。
 つまり、慰安婦問題のふたつ目の側面は、ナショナリズムである。
 慰安婦の存在が、重大な人権侵害であるについて、何の反論もない。しかし、何度も言っているように、戦争そのものが巨大な人権侵害なのである。日本の皇軍は、自国の若者を爆弾を積んだ飛行機に乗せて、敵艦に体当たりさせていた。これは人権侵害じゃないのか?。それともこれは美談なのか?。特攻隊は美談で、慰安婦は人権侵害なのか?。
 戦争の様々な悲惨さのなかから、ことさらに慰安婦だけを取り上げて、非難し続ける人は、無意識に戦争を美化しているかのように見える。慰安婦として働いていたのは、韓国女性だけではない。日本人も働いていたのだ。それでは韓国人はどうしてそれを日韓関係、国家間の問題にしたいのか?。
 それが、とりもなおさず、ナショナリズムであり、愛国心なのだ。
 愛国心は、もちろん祖国愛であるが、少し考えればわかることだが、私たちが祖国に属しているのではない。祖国が私たちに属しているのだ。なぜなら、私にとっての祖国と、あなたにとっての祖国はちがう。これを読んでいるあなた、誰か知らないけれど、あなたの祖国愛を私に押しつけられても困るし、もし、強制的にそれを押しつけられて受け入れざるえなくなっても、それが私の祖国愛になることはない。つまり、祖国愛は、自己愛にすぎない。なぜなら、祖国という概念がそもそも、誰にとっても、自己という概念の属性にすぎないから。
 したがって、愛国心は我執にすぎず、そうした我執をあたかも正義であるかのように考える思想は妄執にすぎない。
 慰安婦問題は、日本と韓国、それにアメリカのナショナリズムが絡み合っている。慰安婦をめぐる三つ目の側面は、メディアによる、善意にとれば誤報、辛辣に言えば捏造という側面があった。
 そうした、メディアのフィルターを通した情報が、韓国のナショナリズムを刺激した。韓国のナショナリズムとは、無垢の被害者、迫害された民、というイメージである。戦前、日本人が朝鮮民族を差別していたのは事実だが、前にも書いたように、慰安婦にされたのは朝鮮人だけではない。日本人もいたのだ。だから、ここではむしろ朝鮮人差別というファクターは小さいはずなのだが、韓国の愛国者がことさらに、慰安婦問題を弄ぶのは、彼らにとって、慰安婦のイメージが、自己愛のイメージにぴったりだったというにすぎない。もじどおり、韓国の愛国者たちは、慰安婦を愛しているのだ。
 アメリカにとっても事情は似ている。「従軍慰安婦」「奴隷狩り」のイメージは、東京大空襲、原爆投下などの、うしろめたさを吹き消してくれるだろう。
 韓国やアメリカのやり方に恨み言を言おうというのではない。私には日本の軍部を曲庇しなければならない縁もゆかりもない。そうではなくて、愛国心というゆがんだ情熱のばかばかしさを言いたいのだ。
 週刊現代に「わが人生最高の10冊」という書評欄があるのだが、そこに上野千鶴子が『いのちの女たちへ とり乱しウーマン・リブ論』という田中美津の著書を紹介していて、こう書いている。

田中さんは、男が女に求めるのは母性と性欲処理で、女の解放は便所からの解放だと言ったリブの女です。わたしは全共闘の男たちが、バリケードの裏で、すぐに寝る女のことを「公衆便所」と呼んでいたのが、皇軍兵士が慰安婦を呼ぶ言葉と同じだと後に知ってショックでした。
 わたしは、田中さんが日本のリブの肉声であったことはすごくよかったと思っています。男以上に男の論理を信奉し、男に頭をなでられたい女はすべて永田洋子連合赤軍事件の首謀者)だ、と言ったのも彼女です。

 世の中の男たちは、慰安婦問題を、あほのウヨクとか、汚らしい兵隊の問題と思っているかもしれない。しかし、これは、ハンナ・アーレントが言った「悪の凡庸さ」と同じなのだ。
 全共闘の男たちは、誰に強要されたわけでもないのに、同士の女たちを慰安婦扱いしたのである。単に我執にすぎないことを、愛国心であっても、革命の実現であっても、全体主義の言葉に置き換えて、それを個人の倫理より上位においたとき、人権はやすやすと蹂躙される。
 韓国で、河野談話を受け入れず、謝罪を拒否している人たちに私は尋ねたい。あなたたちの心にあるものは、慰安婦を抱いた皇軍兵士と同じ「愛国心」という情熱にすぎないのではないですか?。

いのちの女たちへ―とり乱しウーマン・リブ論

いのちの女たちへ―とり乱しウーマン・リブ論