解釈改憲とモザイク

knockeye2014-03-17

 解釈改憲なんてヘアヌード解禁みたいなものだ。
 ヘアヌードはいつ解禁されたのか?。そもそもいつヘアヌードは禁止されたのか?。警察がそのときの気分で、許したり、捕まえたり(おもに篠山紀信を)しているだけだが、誰もそれに対して異議を申し立てないというだけのこと。AVのモザイクも、いまのAVに、80年代ころのモザイクをかけたら、「何にも見えない」と(そもそもそれがモザイクなんだが)クレームがくるだろう。
 日本のポルノをめぐる議論と、平和憲法をめぐる議論は、ほとんど同じだ。
 陰毛や陰部が見えるか、見えないかに何の意味があるのか?。その一方で児童ポルノが野放しになっていたりする。
 ポルノをなぜ規制するのか、何を規制するのか、どう規制するのか、という議論抜きに、ただ、「ポルノを規制しています」という言い訳のために、モザイクをかけているだけなのだ。
 解釈改憲ヘアヌード解禁と同じなのは、平和憲法がモザイクと同じだからだ。
 平和憲法日米安保にかかっているモザイクにすぎず、日米安保は、日本が事実上、すくなくとも防衛戦略上は、アメリカの属国にすぎないことを隠しているモザイクにすぎない。
 日本は、朝鮮戦争にも、ベトナム戦争にも、イラク戦争にも、結局、アメリカに協力している。
 問題は、日本は、国際秩序に対して、どのようなスタンスで責任を持つのかについて、意味のある議論がもたれないことなのだと思う。
 解釈改憲よりは、憲法改訂論の方がまだましだ。安倍首相がなすべきことは、姑息な解釈改憲ではなく、今、日本が自国の防衛に対してどうあるべきかの議論を国民に投げかけて、憲法改訂の必要性を根気よく訴えかけていく事だと思う。それが民主主義のプロセスだろう。
 もし、この国に本当の意味でリベラルといえる人たちがいれば、そういう議論を望むだろうが、この国で「リベラル」ぶっている人間は、平和憲法という言い訳さえ維持できれば、それで「リベラル」の対面は保てるとおもっているうわっつらの民主主義者だけみたい。
 陰毛が見えたか見えないか、モザイクが薄いかどうか、ではなくて、表現の自由と性の尊厳のバランスで、ポルノの立ち位置をどうすべきかという議論がなぜできないのかなと思う。
 以上、解釈改憲についてのアダルトな意見、ってことかな。