「ウォルト・ディズニーの約束」

knockeye2014-03-26

 「ウォルト・ディズニーの約束」は、ずっと前から楽しみにしていた。ことしは、「メリー・ボビンズ」50周年だそうで、その記念という意味もあるんだろう。何と言っても、トム・ハンクスウォルト・ディズニーを演ずるんだから、それだけで元が取れる。
 ほとんどの映画をけなすかの感があるニューズウィークの映画評は「ウォルト・ディズニーの約束」を、「甘ったるい」と、見出しでいきなりけなしたんだけど、記事を読むと、「ハンクス版の善良なるディズニーに食ってかかる意固地なトラバースを、トンプソンは好演している。運転手役のポール・ジアマッティ、『メリー・ポピンズ』の楽曲をてがけたシャーマン兄弟役のB・J・ノバクとジェイソン・シュワルツマンなど、達者な脇役陣の演技も光る。」と書いたうえに、「なかでも素晴らしいのは、トラバースの父を演じたコリン・ファレルだ」と、わざわざ段落を変えて絶賛してる。
 そして最後に「ウォルト・ディズニーの魔法を再発見したいなら、もう一回『メリー・ポピンズ』を観た方がいい。」と結んでいるけれど、それは、「もう一回『メリー・ポピンズ』が観たくなった」と書いても同じことだし、それに、具体的に「ここがダメ」という指摘がどこにもない。無理矢理けなしてんのかって、ちょっとおかしくなってしまった(なかったらないでええねん)。
 東洋の一島国に住むわたしとしては、この評者の「甘ったるい」という、そのウェットな感じがしっくり来た。コリン・ファレルの評については異存がない。
 トム・ハンクスウォルト・ディズニーエマ・トンプソンのP.L.トラバース、役の上からも、実年齢でも、コリン・ファレルが演じた父親を年齢で追い越してしまっている。
 おそらく、P.L.トラバースは、「メリー・ボビンズ」を書くことで、乗り越えた過去があり、だからこそ、「メリー・ボビンズ」が映画化されることで、それがウソになることを嫌ったのだと思う。
 まさに原題の「Saving Mr. Banks」のとおり、トラバースには、他でもない「Mr. Banks」を守らなければならない十分な理由があった。
 その部分を説明なしに観客に伝える脚本は巧みだと思う。見ているこっちは知らず知らずのうちに、この愛すべき、子煩悩の優男を愛惜の思いを込めて見つめている。
 そして音楽がすばらしい。「凧を揚げよう」のダンスシーンで感情を揺さぶられない人はいないでしょう。
 この映画を観たあと、わたしも「メリー・ボビンズ」が観たくなって、DMMのサイトでレンタルしようとしてみたけど、すでに「借りにくさ」の上位に入っていた。
 50年後に、あれをもう一回観てみようとか思える映画はそんなにないんだし、その誕生に情熱を傾けた人たちには、やっぱり敬服する。