アートとクラフト、芸術と工芸、という区別にどんな意味があったのか、知らないけど、ともかく、仮にでもそういう区別を設けてみた価値観にとらわれたために、江戸から明治への、大きな時代の変動期に花咲いた、これらの‘超絶技巧’を私たちはむざむざ見逃した、ということになるみたい。
こうした工芸品の多くは、いまほとんど海外のコレクターの所蔵に収まってしまって、国内にはすくないのだそうだ。
三井記念美術館では、柴田是真の漆芸を二度にわたって観たが、柴田是真の作品についても、国内よりは海外での評価が高いとのことだった。
正阿弥勝義の‘古瓦鳩香炉’は、2010年、泉屋博古館以来の再会。
これが「金工」なんですよ。鳩だけじゃなくて、下の瓦も。
あのとき、度肝を抜かれた鈴木長吉の「十二の鷹」がないのは残念。あのときうっかり図録を買わなかったのか、そもそも図録がなかったのか。手元に資料がない。
金工では、村上盛之の‘冬瓜大香炉’もすばらしかったし、川原林秀国の
‘瓜型香炉’のこの洗練。
今回は、清水三年坂美術館館長の村田理如というひとのコレクションが根幹になっていて、この所蔵家の最愛のコレクションは、並河靖之の七宝のようで、質量ともに豊富だった。
並河靖之の七宝は、明治のその当時、欧州の展示会場に運び込まれるや、箱を開けるまもなく競りにかけられて、べらぼうな高値で取引されていたのだそうだ。
実は、この展覧会の後、新橋の汐留ミュージアムで開催されている「フランス印象派の陶磁器」という展覧会にも足を運んだのだが、そのまま比較するのはフェアではないのだが、ただ、ほぼ同じ頃、フランスの工房で作られていた、この「ブドウの葉の形のセンターピース」
と、正阿弥勝義の‘蓮葉に蛙皿’
とか、同じ鶏でも、これ
と、これ
だったら、そりゃ日本の工芸品に高値がつくのも当然な気がする。
さっきの鶏も、元ネタは北斎だそうだし、当時、欧州を席巻したジャポニズムの衝撃は、かなりなもんだったんだろう。
そして、今回の衝撃は、なんといっても安藤緑山の牙彫り。
これみかんじゃないんです。象牙なんです。
その他、自在や刺繍もすごかった。
三井記念美術館といえば、最近、お向かいにコレド室町っていうのがオープンした。TOHOシネマズも入っていて、でかいスクリーンとか話題。
それでまあ、ちょうどじぶんどきだし、お昼を食べることにした。
一階に、西利という京都のつけもの屋さんがテナントを出している。そこで、‘京のお茶漬け’というのを食べることにした。上方落語にもあるんだけどね、‘京のぶぶ漬け’。
ごはんと、ほうじ茶と、お漬け物と、白味噌のおみおつけで、1080円。80円は消費税だから、千円ぽっきりというところだね。これがおいしかった。
日本橋三越の前で、千円でお昼っていうのが、なんか贅沢。っていうか、お昼だから、それくらいでいいんだ、年のせいかもしれないけど。サブウエイとかマクドでもちょっと多いと思うくらいなので。
それで、つけものが旨いんだから、いうことない。あたりだったわ。ヘルシーだし。
だけど、後で考えたら、美術館でこれ
を観たのが、潜在意識にすり込まれていたかもしれない。
うまそうだけど、これも象牙なんです。
そのあと、さっきも書いたように、汐留ミュージアムにフランス印象派の陶磁器を観にいった。たしかに、明治の工芸品を観た後では、もっちゃりして見える一面もあるけれど、ただ、エルネスト・シャプレまでいくと、これは名工だと思う。チャイニーズ・レッドと、とくに、‘せっ(火へんに石)器’の簡素さが美しい。