感情の問題

knockeye2014-05-29

 このところ、このブログに、‘川田文子’‘松本栄好’のキーワードにひっかかって来る人が増えている(といっても、もちろんたいした数じゃないけれど)。
 それで、‘どんなこと書いたかな’と思って、読み直してみたけど、言いたい放題書いてるけど、思ってたほどひどくはなかった。頭を抱えるほどではなかった。
 個人的には、団塊の世代は、小中高時代の教師の世代なので、内心に批判的な思いを抱いていたことも事実なんだろうと思う。
 結局、いいたいことは、慰安婦の悲惨さを、戦争全体の悲惨さに優先させる、その様々なレトリックの中に、プロパガンダがあるということだ。
 もちろん、慰安婦問題を吹聴する人たちが、慰安婦制度の方が、戦争そのものより悲惨なんだと本気で主張しているなら、慰安婦問題の解釈をめぐって、日韓で戦争も辞さないことになるだろう(現に雰囲気はそうなりつつある)。絶句するしかない。
 松本栄好氏の証言については、慰安婦制度についての証言であるより、戦場でのレイプの実態という方が正しい。氏も云っているとおり、それは、当時から軍紀違反だった。
 杉原千畝は、当時の外務省の指示に背いてビザを発給し続けた。それについて、私は日本人として、ひそかに誇りに思うけれど、それを「日本政府の功績だ」と主張する人がいたら、「ふざけんな」といわれないだろうか。
 その裏返しで、当時、軍紀に背いて現地の女性をレイプした兵士が多くいたことを、私は日本人として恥ずかしく思うけれど、それを「日本政府の犯罪だ(国家賠償に応じよとはそういう意味だろう)」と、韓国の民族主義者が主張するについては、「それは違うだろ」って云ってるだけだ。
 慰安婦問題とは、つまり、韓国の民族感情の問題にすぎない。すくなくとも、この一年で、日本の一般的な国民に、そうした認識が定着したのは事実だと思う。