ヴァロットン展

knockeye2014-06-15

 晴れて気持ちのいい週末だったが、土曜日は仕事関係の講習につぶれて調子が狂ってしまった。
 日曜日は、三菱一号館の、フェリックス・ヴァロットン展(と、バルテュス最後の写真展)へ。
 三菱一号館は、館長の高橋明也という人がたぶん面白い人だね。あんまり他じゃやらない展覧会が多い。
 ヴァロットンて知らなかったんだけど、この

あやしい感じ。そそられるじゃないですか。
 1865年にスイスのローザンヌに生まれ、1925年に60歳で没している。ナビ派に参加して、「外国人のナビ」と呼ばれたそうだ。
 ナビ派のミューズだったという、ミシア・ゴドフスカをモデルにした「化粧台の前のミシア」だけを観れば、たしかに、ナビ派のひとりだと思うだろうけれど、わたしの第一印象は、ドガだったり、ホッパーだったりした。ナビ派の絵にはあまり感じない、苦みとか毒を感じる。それは上の絵なんかもそうなんだけれど、「引き裂かれるオルフェウス」なんて、引き裂いている女たちの方が主役だから。
 それから、この「立ち上がるアンドロメダペルセウス」なんて

横尾忠則みたい。
 「竜を退治するペルセウス」も、ちょっと笑ってしまう感じが横尾忠則に似ている。
 別館で、バルテュスが、晩年スケッチ代わりに撮っていたポラロイド写真の展示があるのは偶然なんだろうけれど、バルテュスの裸婦とヴァロットンの裸婦を比較してみると、興味の対象がまるで違うのがよくわかる。
 これがヴァロットンの裸婦の一例。

 一見してわかる、この不思議な髪型。さっきの「竜を退治するペルセウス」のアンドロメダも、この髪型をしている。日本人から見ると‘丸髷’だけれど、この髪型も含めて、量感とかボリューム、立体感。そこが、マチエールで肌の質感を表現したいバルテュスとまったく違うし、そこは、ナビ派からもはみ出していると思う。
 三菱一号館がほぼコンプリートしているらしい、一連の木版画のセンスを見ても、

ヴァロットンが日本の浮世絵から受け取ったエッセンスは、単に構図とか平面性ではなく、都会的な現実性であり、男女の機微であり、そういうリアルさが、ホッパーを思い出させたり、神話を描いても、横尾忠則みたいに見えたりということなんだろう。
 第一次世界大戦にも従軍している。ほんとは兵士として志願したが、年齢ではねられたそうだ。オットー・ディックスやマックス・エルンストが兵士として体験した第一次大戦を、ヴァロットンも従軍画家として見たことになる。
 今回の展覧会には出展されていないが、「物入れを探す女」

の窃視願望というか、無防備な瞬間を見たいという感じは、たぶん現代的なんだと思う。今回の展示では、「室内、戸棚を探る青い服の女性」などもそうだ。
 篠山紀信が晩年のバルテュスを撮った写真集が届いた。

 実のところ、この写真一枚に惹かれたかもしれない。篠山紀信はやはりひとかどのものだね。