バレエ・リュス展

knockeye2014-07-27

 順序が逆になるけれど、先週、国立新美術館で観たバレエ・リュス展について。
 バレエに何の興味もないわたしが、アウェー感満々な展示会に足を踏み入れるのは、「バルビエ×ラブルール展」のとき、鹿島茂

バルビエとラブルールのセット展という発想そのものが、十九世紀が二十世紀に決定的に変わった直接的原因が何かを知りたいという思いから生まれたものだが、結論から言ったらそれはロシア・バレエしかないということになる。

と書いていた、その断定のわけをもう少し感覚的につかみたいと思うからだ。
 あのときのブログを読み返してみると、あのときはあのときで一応分かった風なことは書いているし、なるほどなと思わないでもない。
 あのときはバルビエの版画作品だったが、今回は写真と衣装。特に、衣装で面白いのは、いつも絵画展で名前を目にする巨匠たちのデザインした衣装が観られることだ。
 アンリ・マティスデ・キリコジョルジュ・ブラックマリー・ローランサンなど。展示はなかったが、ピカソが舞台セットを担当したこともあったそうだ。
 アンリ・マティスの衣装は、あれだけたくさんの中にあっても目を惹くのはさすがだと思った。
 あと、可笑しかったのは、マリー・ローランサンのデザイン画で、ふつうにいつもどおりのマリー・ローランサンの絵なの。あの絵を「これデザインっす」て渡された職人さんは困ったと思うわ。
 ただ、バレエ・リュスの衣装デザイナーの列に連なるマティスデ・キリコの名を観ていると、総合芸術としてのバレエ・リュスというより、すべての芸術の垣根を突き崩す、破壊者としてのバレエ・リュスに思いを馳せざるえなかった。
 19世紀以前の芸術が何のために存在していたのか、教会のためにか、パトロンのためにか、サロンのためにか、存在していたのだとしても、20世紀以降の芸術は、よく考えると実体のよく分からない、大衆のために、たとえそぶりだけにせよ、膝を屈せざるえなくなった、芸術の存在意義そのものを変えたのが、バレエ・リュスであったのかもしれない。
 20世紀は第二次世界大戦で前後に分かれるが、あの戦争で負けた側が採用した、間違った価値観は、このときバレエ・リュスが過去に葬り去った、うつろな権威をよりどころにするものだったかもしれない。