油彩のモバイル化としての印象派 ノルマンディー展

knockeye2014-10-01

 新宿東郷青児記念美術館で、「印象派のふるさと ノルマンディー展 近代風景画のはじまり」という展覧会がやってます。
 新宿は、小田急の始発駅だし、この美術館は閉館時刻が午後六時と、少しだけ遅くまでやっているおかげもあり、帰りにちょっと立ち寄る、といった訪ね方をすることが多い。
 それで、はずす場合もあり、当たる場合もあるのだけれど、今回は予想外の収穫だった。
 「印象派のふるさと」って、なんかこじつけめいたサブタイトルなので、どうせ寄せ集めのコレクション展示なんだろうと多寡をくくっていたが、そうじゃなかった。
 展示はまず、ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナーから始まる。印象派の先駆者ととらえられることもあるターナーの絵は、実物を目の前にすれば誰もが、たしかに印象派を先取りしていると、感覚的に思うわけだが、その必然性について、突き詰めてみる人はそんなにいないだろうと思う。
 ターナーの絵の背景には、産業革命によって誕生した富裕層の子息たちの、グランドツアーと呼ばれる大陸旅行のブームがあり、それと平行してピクチャレスクと言われる風景に対する価値観の確立があった。
 一般に、印象派の始祖とされている、クロード・モネの絵と、ターナーの絵を比較して、共通していると思う点には、移ろいゆく一瞬をとらえようとする、即時性と即興性をあげることができるだろう。
 モネの場合は、「印象 日の出」がまさにそうだし、カミーユの死に顔を写そうとしたときの心境を語った、本人の言葉をもう一度思い起こしてみてもよい。
 ターナーについては、雪崩であったり、難破船であったり、走りすぎる蒸気機関車であったりする。
 この共通点については、本来、資質が水彩画家であったターナーが、油彩においても水彩の直感的な筆使いを手放そうとしなかったためではないかと考えたこともあった。
 ジャパニストであるモネの場合は、水墨画にインスパイアされて、あのような即興的な筆致になったのではないかと漠然と考えてきた。
 しかし、今回、多数展示されていたウジェーヌ・ブーダンの絵を観て蒙を啓かれた。この人は、いわば、モネの師匠にあたる人で、モネに屋外製作を勧めたことで知られているそうだ。第一回印象派展にも参加している。
 この人の絵は、びっくりすることに、印象派を飛び越えてほとんどフォーヴにさえ見える。
 そして気がついたのは、ターナーとモネを結んでいたのは、「屋外製作」だという、考えてみれば、すっごいあたりまえのことだった。「屋外製作」という絵画に対する態度において、ウジェーヌ・ブーダンは、ターナーとモネを結んでいた。
 ターナー印象派の先駆者に見えるのは、水彩画の方が「屋外製作」の利便性という点で、油彩画に先んじていたからだろう。
 つまり、印象派の誕生には、油彩道具のモバイル化、持ち運びできる油彩道具の確立が欠かせなかったのだった。
 今さら、そんな当たり前のことに何でそんなに感じ入っているかというと、画家は、観る側がどう思おうが、描きたいようにしか描かないということに。 
 画家が屋外で絵を描くとき、当然ながら、描きつつある絵もまた屋外で観ている。その開放感は、印象派の自由な表現と無縁ではなかったのだろう。
 コローは、ブーダンのことを「空の王者」と呼んでいたそうだ。


 ラウル・デュフィが15点もあった。

 この絵なんか見てると、晩年の‘黒い蒸気船’は、画家が自己を投影していたという説明に説得力がある。