脱原発は脱官僚なしでは実現できない

knockeye2014-10-30

 電力会社が再生エネルギーの買い取りをやめる事例が相次いでいるようだが、こんなのはあの2011年当時からの既定路線だろう。
 再生エネルギーの買い取り価格が異常に高すぎることを不審に思っていたのはたぶんわたしだけではないだろう。
 メガソーラーを過剰に増やして潰す。それによって、再生エネルギーに対する国民の期待も潰す。これが最初からの狙いだったろうと思う。
 メガソーラーは原子力発電にとってかわることはできない。晴れた日の昼間しか稼働しない発電システムがメインの発電システムになり得るはずがない。
 太陽光発電のメリットは、新たな施設を設けずとも、一般家屋や既存の施設の屋根に設置できるコストの安さと、もっとも電力使用量が上がる夏場の日中にもっとも威力を発揮できるわけだから、そういう小規模で分散的な使い方で、電力使用量のピークをカットできるところにある。
 したがって、太陽光発電の使い方として正しいのは、メガソーラーのような大規模な発電システムではないことは、当時からわかりきっていることだった。
 それにくわえてさらに重要なことは、メガソーラーによって発電した電力を‘買い取る’といっても、その‘買い取る’電力会社のカネはどこから出てくるのか?。それは原発を稼働させて稼ぐしかない。
 つまり、メガソーラーは普及すればするほど、原発依存を強化することにしかならない。
 だから、本来なら、地熱、風力、ガス、太陽光などの小さな発電所を無数に作って、それをネットワーク化することが脱原発の道だったはずで、つまり、脱原発時代に重要なのは、発電ではなく送電のスマート化だったはずなのだ。そのこともたぶん官僚はとっくに承知している。
 だが、かれらはなぜそれに抵抗するのかといえば、発電を小規模化し、分散することは、そのまま、発電が官から民へ移管することを意味している。そうなれば、かれらは電力利権を失う。
 電力会社がガスを扱うことをうながしたのは、エコウィルエコキュートなどのコージェネレーション普及に対する妨害だろう。
 明治以来の官僚支配の構造はしたたかなのだ。だが、今現在のこの国の財政状況を見れば、そのシステムがすでに破綻していることは明らかだ。
 ただ、残念なことに、日本人の多くは官畜としてあまりにも長く飼い慣らされてきたので、脱原発には賛成でも、それが発電の小規模化、分散化であることが理解できない。それで、メガソーラーなんていう変なものがいっぱいできてしまう。
 その構造は、日米安保のありかたとよく似ている。戦争反対と唱えながら、それを推し進めていけば、日米安保の解体であり、ということは、憲法改訂であることが理解できない。それで、憲法九条を守ってきた日本国民にノーベル賞を、とか、あつかましいことを言って失笑を買うことになる。
 脱原発は純然たるビジネスなので、センスのある企業家でなければ実現できないだろう。
 2011年に書いた記事だけれど、興味のある方は、ちょっと読んでみてください。あのときと状況はほとんど何も変わっていない。シェールガスクラッキング問題が大きくなってきたけれど、論旨は原発が低コストでも安全でもないということなので。