国宝展、ウフィツィ美術館展、東郷青児展

knockeye2014-11-27

 ホドラーを観にいった日に、東京国立博物館の国宝展にも行った。ただ、あそこはいつものすごい混雑。ほんとに鑑賞したければ、早朝に出掛けるにかぎる。混雑が常態化しているわけだから、展示ももっと高い位置に額装するとかの工夫はあってよい気がする。
 今回は、でも、雪舟の「秋冬山水図」が観られてよかった。名高い雪舟だが、私には遠すぎて何も感じない絵が多いのだけれど、この「秋冬山水図」の、とくに冬の方。

 画面の中央、何もない空間から、突如、亀裂のように引き下ろされる垂直な線には、いつも驚かされる。単なる崖の描写を超えて、この線一本で、冬そのものを表現している。この線には古典と言うべき風格が備わっているだろうと思う。そりゃ国宝で納得なのだ。
 この海竜王寺の五重小塔が、そっくり持ってこられていたのに驚いた。
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 何でも持ってくんだなという感じ。東京に軸足をすえて世界を見回していたら、世界が見えなくなるだろうなっていう戒めみたいな展示だ。町としての東京を相対化できる視点を持っていないと、つまんないことになると思う。
 「東アジアの華 陶磁名品展」という企画も覗いた。常設展示のほうに行くと、突然、がら空きになるのもいつものことだけれど。
 中国や朝鮮の青磁と並んでいる縄文土器を観ると、こわい感じがする。わたしたちはたしかに違うと感じる。この違いを意識しているべきだと思う。 
 ミュージアムショップで、小林古径

「いでゆ」という絵はがきを見つけて、おやっ?と思った。大正七年の絵で、まだ朦朧体の名残を感じるけれど、小倉遊亀

「浴女 その一」を思い出させる。
 絵としては、断然小倉遊亀の方がいいけど、こうした線描の美しさを、小倉遊亀小林古径から学んだと思う。小倉遊亀のは昭和13年だし、その頃には、小林古径も朦朧体を捨てていたはずだ。
 小林古径小倉遊亀の関係には、なにか近寄りがたいものを感じる。小倉遊亀ははげしい人だったらしく、インタビューの達人、阿川佐和子が、ひとこともしゃべってもらえずに泣かされたと書いていた。
 そろそろ来年の年賀状を考えなければならない時期だが、「午」はけっこう簡単だったけど、「未」は難しい。今のところ、ミレーの

これとか考えているのだけれど、このショップに、セガンティーニ

こういうのもあった。
 こないだ読んだバーナード・リーチの『日本絵日記』に、日本アルプスを目にして「まるでセガンティーニだ」と書いてあったのを読んで、西欧の人たちにとって、セガンティーニってそういう画家なんだなと、改めて認識した。
 東京都美術館の「ウフィツィ美術館展」にも行ったけど、もっとボッティチェリかとおもったらそうでもなかった。
 聖母マリアが高そうな服着ている絵にあんまり興味がわかない。
 新宿の東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館(長いな)に、東郷青児の展覧会を観に行った。
 東郷青児の写真をはじめて見たけど、いわゆる‘イケメン’。藤田嗣治と同じ頃にパリに留学していた。フジタほど有名にはならなかったんだけど、フジタが「大衆のための絵画」という方向に移っていったのに対して、この人は、一生いい女の裸を描くと決めたかのように見える。そういう決意が見える絵だと思う。