ホイッスラー展

knockeye2014-12-07

 土曜日は、厚木で「リスボンに誘われて」を観た後、横浜美術館のホイッスラー展に行った。初日なので、もっと混んでいるかと思ったら、そんなでもなく。日本では27年ぶり、世界全体でも20年ぶりの回顧展だそうだ。
 ホイッスラーはジャポニズムの画家としても知られているらしい。私たちは、ジャパニーズなので、19世紀末に西洋美術界に起こったこのジャポニズムを、ひそかに誇らしく感じがちだが、それはまあ、全くの勘違い、お門違いの類いだろう。
 絵が、何か他の思想や宗教のテーマに従属しなければならないとは、今は誰も思わないはずだが、ホイッスラーのこの時代は、あえてそれに‘否’という意味があった。ジャポニズムにはいろいろな側面があると思うが、ホイッスラーはそこに唯美主義的な自由を見ていたようだ。

 ラスキンが、ホイッスラーの作品「黒と金色のノクターン 落下する花火」を、「私はこれまでロンドンっ子のあつかましさを嫌と言うほど見聞きしてきたが、公衆の面前で絵具のなかみをぶちまけるだけで、200ギニーを要求するほどふざけたやつがいるとは考えてみなかった」と、『フォルス・クラヴィゲラ』誌上で酷評した。ホイッスラーは激怒し法的手段に訴えた。最終的にホイッスラーが勝利を収めたのは、さすが、iPhoneの方がGALAXYよりかっこいいと断じたイギリス司法の伝統だろうけれど、ただ、訴訟費用が嵩んだわりには大した賠償額は獲れず、ホイッスラーは破産に追い込まれたそうだ。
 ラスキンは、ターナーやラファエル前派を擁護したのに。どういうわけでホイッスラーの花火はダメだったんだろう?。教科書的な図式では、ラスキンもホイッスラーも唯美主義者と片付けられているはずだが、だから、仲良しというわけに行かないところが面白い。
 ともあれ、この「黒と金色のノクターン」というタイトルが示すように、ホイッスラーは、絵を音楽のように他の価値に従属しない純粋な芸術と主張したわけだった。
 ラスキンには批判されたけれど、カーライルは、「灰色と黒のアレンジメントNO.1」(この夏、オルセー美術館展に展示されていた)を、いたく気に入って、同じ構図の肖像画を注文している。

 これは絵葉書なので、黒のディテールが潰れている。実物はもっと階調が豊か。たとえば、コローの銀灰色、ゴッホの黄色、というように、ホイッスラーに特長的な色をひとつあげるとしたら何だろうか。私は灰色だと思った。ホイッスラーの灰色は美しい。
 テムズセットと言われるテムズ河をモチーフにした版画集を出しているが、線よりも階調にこだわりを感じる。奥さんが病気療養しているサヴォイホテルから見下ろすテムズ川リトグラフがあるが特に美しい。1896年の「テムズ川」というリトティント。ホテルの部屋に何種類もの‘とき墨’を持ち込んで、霧にかすむテムズ川の夜景を表現した。オリジナルは12枚しか刷らなかった。この頃、霧のロンドン(じつはスモッグだったらしいが)といわれたこの町の夜景をモチーフにした絵というと、そう言われてみると案外思いつかない。パリ、ヴェネチアの魅力を伝える絵は多いが、ホイッスラーのこの絵を見ていると、19世紀のロンドンを想像してしまう。
 「青と金色のハーモニー ピーコックルーム」も映像で紹介されていた。


 これを見ると、たしかに、ホイッスラーをジャポニズムの画家といいたくなる。
 当時、ホイッスラーのパトロンだったフレデリック・レイランドは新しく手に入れた邸宅の食堂に、陶器のコレクションを飾ろうと思い付き、クルミ材とアンティークのスパニッシュレザーを用いた内装をほぼ完成させていた。写真の奥に見えているが、ホイッスラーの「陶器の国の姫君」を飾る壁の色を、建築家が彼に相談したらしい。それで、仕事で不在だったレイランドに「ちょっと壁の色を変えてもいいですか?」みたいなことで一応許可は取ったらしいが、明らかに壁の色にとどまっていない。クルミ材は金色、スパニッシュレザーは青く塗られているし、壁一面に金色のクジャクがいますがな。
 ホイッスラーは自画自賛の手紙を送って「完成するまで見に来ないでね」みたいなことを言って寄した。悪気はなかったらしい。できあがりを見たレイランドは激怒し、絶縁することになる。なんか「へうげもの」にでてきそうなエピソードだ。
 でも、この激怒のポイントはなんかわかりにくい。レイランドに見せる前に、報道陣を呼んで内覧会を催したのがよくなかったのかも。2000ギニーの要求に対して、その半額しか払わなかったそうだが、ただ、レイランドは、この部屋を改装するでなく、人手に渡すこともなく、生涯このままで使い続けた。イギリス人にいつも感じる魅力はこの奥行きだな。
 このピーコックルームは、今は、海を越えてワシントンに移築されているそうだ。