「6才のボクが大人になるまで。」

knockeye2014-12-18

 年の暮れは、私のようなものでさえ、さすがに忙しく、ブログの更新も覚束ないが、「6才のボクが、大人になるまで。」という映画がよかったので書いておきたい。
 監督はリチャード・リンクレイターという、「ビフォー・ミッドナイト」とかのイーサン・ホーク主演のあのシリーズを撮った人で、今回の映画でも、主演のエラー・コルトレーンもそうだけれど、父親役のイーサン・ホークと信頼関係がなければ成立しなかったろうと思う。
 なにしろ、エラー・コルトレーンは、最初の撮影がどうしても思い出せないという、12年間かけて、毎年1週間ずつ撮影していったクロニクルで、イーサン・ホークもどこかで言っているけれど、こういう構想力は長編小説のそれで、絶対にメロドラマにはなりえない。
 まるで何事もなかったかのように終わる。イーサン・ホークのインタビューで印象的だったのは、「ラストが美しいのは、観客が、‘その背後に倒れているドミノ’を知っているからだ。」という言葉。
 是枝裕和が、この映画をテレビドラマの「北の国から」に例えていたけれど、イーサン・ホークの演じた父親は魅力的だった。あの役の台詞は、「もしかしてアドリブ?」と思うほどだったが、多分違う。役と役者が頭の中でごっちゃになってしまう。こういうことはテレビの長寿番組とかではありがちなことだが、映画ではめずらしいんじゃないたろうか?。「寅さん」とかならわかるよ。一本の映画の中で、そういうことが起こる。
 歳とってくると、12年って時間が、長いのか短いのかわからなくなってくるが、12年って、猫の一生としてなら長生きな方だと思うんだけど、うちの猫が死んだ時に、私の一生も、この猫の一生ほどの濃密さもないだろうなとふと思った。それを思い出した。
 エラー・コルトレーンもだけれど、姉さん役のローレライ・リンクレイター、監督の娘さんだそうだが、もすごくよかった。母親役のパトリシア・アークエットに触れないのはひどいか、実際にドラマを動かしているのはこのひとだから。
 アカデミー賞を獲るんじゃないかと言われてるらしいけど、それに相応しい風格を備えていると思う。