笑福亭仁鶴一門会

knockeye2015-01-07

 今年も神戸文化ホール中ホールで、笑福亭仁鶴一門会を両親と聴きに行った。
 1月2日だったが、これが格段に寒い日で、朝は庭の椿の葉にうっすらと雪が積もっていて、出掛ける頃までに消えなければ、車は危険なんじゃないかと思うほどだった。幸い、雪は消えたが、風は強くて、疲れがたまった身体にはちょっとこたえた。
 それに、神戸文化ホールの中ホールは椅子が狭くて、チケットぴあで今回確保した席が、前の方なのはまあよいとしても、思ったよりずいぶん端っこで見にくくて困った。こういうことがあると、米朝一門会を聴きに行っていた頃のサンケイホール(昔の)を思い出してしまう。あそこは米朝師匠が定席(?)にしていただけのことはあって、高座が観やすいホールだった。
 落語を聴くのに、階段状になった席から見下ろすようになるのは、あまり望ましくないと思う。やはり、水平面に並べられた座席から、一段高く設えられた高座を見上げるのが、落語を聴くには、ふさわしいと思う。横浜にぎわい座は、少し客席の傾斜が急すぎる気がする。
 それはさておき、演目は
笑福亭 扇平 「天災」
笑福亭 仁嬌 「佐々木裁き」
笑福亭 仁智 「ハードラック」
笑福亭 仁鶴 「道具屋」
だった。
 今年は、かみまくる仁昇さんが来ていなかったのは残念だ。あの人の噺はなんか妙な味があってひっかかる。華がある、とまで云ったら、言い過ぎなのか、言い過ぎじゃないのか分からないが。
 扇平という若い人が演じた「天災」は、もとは江戸落語だったものを桂吉朝上方落語に移したネタだが、今は古典と定着しているのはうれしい思いもあるけれど、ホールの玄関に米朝一門会の垂れ幕もかかっていたのを見ると、今年は、ざこば、南光に加えて、月亭八方も来演するようだ。月亭八方の師匠の月亭可朝桂米朝の弟子だから、八方が米朝一門であるについては、今さら何の異論もないわけだけれど、しかし、ご存じの通り、八方は吉本興業に所属していて、米朝事務所ではない。何か寂しい気がする。やはり、枝雀、吉朝を相次いで亡くして、米朝師匠が高座を下りた後、一門の核になる人がいないんだろうなと、推測にすぎないんだけれど、そういう風に思ってしまう。
 仁嬌の今年の「佐々木裁き」は、去年、ちょっと悪かったのを取り返す出来だったと思う。でも、これは、私は米朝師匠で聴いているから、それはやっぱり。
 この笑福亭仁鶴一門会、もちろん、笑福亭仁鶴を目当てに聴きに来ているのだけれど、失礼ながら、仁智という噺家が若いときから取り組んできた新作落語が、大きな果実を実らせていることを、遅まきながらに知らされて感服している。
 新作落語というと、桂雀三郎も好きなのだけれど、雀三郎の新作が古典の技法を駆使しているのに対して、仁智の新作は、スタイルも斬新な気がする。落語としては、一見無茶しているようだが、独特の世界観があって、キャラも生きているし。
 新作はたぶん、やれる人、やれない人、向いている人、向かない人がいるんじゃないだろうか。その意味では、仁智と雀三郎は双璧かもしれない。このふたりとも聴いたことがない東京の人は、お気の毒という気がする。